法 話

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2017年12月01日

Q、報恩講ってなあに?

A,お寺ではさまざまな法要やイベントが行われていますが、浄土真宗のお寺で一年を通して最も大切に、かつ盛大に勤められてきた法要が「報恩講」です。

 報恩講とは宗祖親鸞聖人のご命日(旧暦では十一月二十八日)にあたり聖人のご遺徳を偲ぶ法要で、常照寺では毎年十二月の頭に三日間の日程でお勤めさせていただいております。

 本堂のお飾りや仏華も一年で最も豪華でとても見応えがあるだけでなく、若松区の真宗寺院のご住職方が常照寺の本堂へご出勤してくださり、お参りの方々には最終日に精進料理も振舞われます。

 一年を締めくくる大切な法要です。常照寺ご門徒の皆さまには、ぜひ一座だけでもお時間つくっていただき、伝統の精進料理を召し上がっていただきながら、非日常な時間を過ごしてみられませんか?

 ぜひともお参り下さいませ。

カフェ・デ・モンク ~Cafe・de・monk~

2017年11月01日

 7月の九州豪雨で大きな被害を受けた地域の一つ、朝倉市。今そこへ九州臨床宗教師会によるボランティアが続けられています。
 
 あらためて、臨床宗教師とは「避難所、病院、施設など、公共の空間において、布教や伝道を目的とせず心のケアを提供する宗教者」のことです。研修を終えた私も、九州臨床宗教師会員の一人として先輩方とボランティアに参加させていただいております。

 私たちが行っているのが『カフェ・デ・モンク』という無料のカフェ。モンクとは英語で僧侶を意味します。つまり「被災者の方々がモンク(僧侶や宗教者)にモンク(文句)の一つでもこぼしていただいて、私たちも共にモンク(悶苦)する」ことを目的としています。

 今、ほとんどの方が避難所から仮設住宅へと移られています。お一人お一人が、大切なものをなくした喪失感、先の見えない不安、日々のストレスを感じておられます。心の健康を取り戻すためには、この先長い時間が必要となるでしょう。

 熊本地震から1年半が過ぎましたが、九州臨床宗教師会は今も熊本でのカフェ・デ・モンクを続けております。大切なのは継続することなのだと実感します。一人一人に出来ることは限りがあるように思いますが、それぞれが自分に出来る範囲で「寄り添う」ことを続けていきたいものです。

 期間限定で常照寺に設置致しました九州豪雨義援金箱にご協力いただいた皆さま、有難うございました。全額を被災地へお届け致しました。            合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2017年10月01日

Q、永代経ってなあに?

A、よく「永代経をお願いしたいのですが」と尋ねられることがあります。「永代経」なるものをお寺に頼めば、あとは何もしなくても命日や法事を勤めてもらえるのでは?と少し誤解なさっている方も少なくないようです。

 実は永代経というのは「永代読経」の略、つまり「永代にわたってお寺が存続し、お経の声が響き続けますように」という願いのことなのです。そしてその願いからお寺へ納められるご懇志のことを「永代経懇志」、その願いをうけてお寺が勤める法要を「永代経法要」と言います。

 常照寺では毎年の永代経法要にて、歴代懇志者の名前が書かれた軸を掲げ、浄土三部経というお経をお勤めさせていただいております。つまりお経は毎年勤まります。しかしお寺が特定の懇志者またはそのご家族のご命日や法事を勤めているわけではありません。

 もし「私亡き後誰もいないのだが、命日や法事を勤めて欲しい」とお考えの方は、ご相談に乗ることもできますので、お気軽に常照寺へご相談くださいませ。

相手を100% 理解する必要はない

2017年09月01日

 上記の言葉は、これまで二八〇〇人以上の患者さんを看取ってきたホスピス医の小澤竹俊先生の言葉です。

 最近ご門徒の方々とお話させていただく中で、よくお聞きしたのが「友人が癌の末期なのですが、お見舞いに行っても言葉も見つからず、どうしてあげることもできず苦しいんです」というものでした。

 人は苦しむ相手の気持ちを理解してあげたいと思いますが、一〇〇%理解することなどできません。「お気持ちわかります」などと軽々しく言ってしまってはかえって反感をかうだけです。ではこうした患者さんに対し、私たちにできることは何なのでしょうか。先生は、

丁寧に話を聴くことしかありません。たとえ苦しみ
は解決されなくても、辛い時に「辛い」という言葉
を、苦しい時に「苦しい」という言葉をちゃんと聴
いてくれる人がいるだけで、人は少しだけ、楽な気
持ちになることができます。

とおっしゃっています。

 つまり、『100%相手の苦しみを理解することはできないが、相手の理解者になることはできる』ということなのでしょう。逆に言うならば、「どんなあなたの言葉でも受けとめます」それくらいの覚悟がなければお見舞いには行かない方がいい、とも言えるのかもしれません。
 
 苦しみを抱える人に対し、「こう言えば間違いない」という正解は存在しないように思います。大切なのは『何もできないけれど、そばにいたい』という寄り添うことなのかもしれません。
                       合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2017年08月01日

Q、法事、「若い者はまだいい」?

A,核家族化に伴い、親・子・孫の3世代で暮らす家庭は本当に少なくなりました。自宅ではなく病院や施設で最後を迎える方も増え、とくに離れて暮らす若者にとって死は昔ほど身近なものではなくなりました。

 お仏壇のある家庭で育つ子どもも減り、手を合わせることを知らないまま大人になってゆく子も珍しくない時代になりつつあります。

 そんな中、親世代の方々が今心配されているのが「うちの子は私たち亡きあと仏事を勤めてはくれないだろう」「お墓を守ってはくれないだろう」ということです。

 そして心配なさっている方に限って、法事があっても「子や孫はまだいい」と連絡なさらないことも多いようです。


 どうぞ、可能な範囲で子や孫世代みんなで仏事を大切になさってみてはいかがでしょうか。仏事にご縁のなかった世代にとっては法事やお墓は負担となってゆくでしょう。しかし幼い頃から仏事を大切にするご家庭で育った者にとって、法事やお墓は「おかげさま」と人生を歩むことのできる大切な場所となるはずです。

 ご門徒の皆さまには、それぞれに様々な事情を抱えておられることと思います。後々のことでご心配の方は、一度常照寺までご相談くださいませ。

人それぞれに 大切にするものがある  その方が大切にするものを   大切にできる 私でありたい

2017年07月01日

 先日県外に足を運びました際に、石鎚山真言宗のお坊さんと知り合うご縁を頂戴致しました。お話するうちに、名前や年齢など共通点があまりに多いことが分かり、意気投合するのに時間はかからず、お食事に誘っていただきました。

 夜でしたが「このあと予定がなければゆっくりお付き合いさせていただいたのですが」と仰るので、「夜の法座か何かですか?」と伺ってみますと、「今夜は毎月の護摩行の日なんです」と。さすが真言宗です。すると「今後の話のネタにぜひ一度体験してみませんか?」との積極的なお言葉。せっかくのご縁と思いお参りさせていただくことにしました。

 やはり浄土真宗とは本堂内の作りやお荘厳がまるで違いますね。むしろ護摩行のためのお堂という印象さえ受けました。信者の方々とともに一番前に座らせていただき、手にはいただいた経本と火にくべる護摩木を握りしめ、見よう見まねで皆さんとひたすら御真言をお唱えさせていただきました。

 太鼓やホラ貝、鈴の音など大変にぎやかなお勤めに少々圧倒されながら、内陣中央から炎があがり始めます。天井を見上げるとこれまでの護摩行によるススで真っ黒。歴史や想いを感じます。煙が立ち込める中、炎に護摩木をくべて礼拝。信者の皆さんは木札に願い事を書いておられたようです。礼拝は五体投地。両手・両膝・額を地につける仏教で最も丁寧な礼拝作法でした。他にも山ほど書ききれないことが・・・


 大変貴重な経験でした。同じ仏教でもこうも違うものかと感じましたが、実際にお参りさせていただいて初めて分かるものなのでしょう。

 自分の価値観や先入観はときに自分の世界を狭めてしまいます。広い視野をもって「人それぞれに大切にするものがある」ことを認めてゆけるような私でありたいと思わされたことでした。  合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2017年06月01日

Q、お経の本って床においたらいけないんですか?

A,お経の本は、仏さまの願いが書かれたとても大切なものです。お経の本やお念珠は、人が歩くようなところ(床やたたみの上)には決しておかないようにしましょう。お勤めのあとは、ひざの上や経本入れにしまっておきましょう。
   
 また、経本をひらく際にも作法があります。まず、経本を胸の前に地面と平行に保ち、おでこに近づけるように経本をいただき、また胸の前へ。そしてひらきます。とじる際も同じです。

 読経の際、ひらいた経本は必ず両手で持ち、ひざの上においたりせず、胸の前に保持し、お勤めしましょう。

 また、お経はまず声に出してみることが大切です。慣れない方は間違えてもいいんです。思い切って声に出してみましょう。

 真宗木辺派のお経本をお求めの方は、本山錦織寺より取り寄せております。常照寺までご連絡くださいませ。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光(仏説阿弥陀経)

2017年05月01日

 先日、「常照寺 春の本山巡りの旅~京都・滋賀」と題し、ご門徒の方々と二泊三日の旅行に行って参りました。天候が心配されましたが、ほとんど雨にあうことはなくなんといっても桜がまだ沢山残っていてくれたことに皆で感激したことです。

 旅中、さまざまな宗派の本山にお参りさせていただきました。天台宗の比叡山延暦寺、浄土宗の知恩院、真宗興正派の興正寺、浄土真宗本願寺派の西本願寺、臨済宗天龍寺派の天龍寺、そして私たち真宗木辺派の錦織寺(きんしょくじ)、いずれも大変素晴らしいものでした。

 特に延暦寺と知恩院のお晨朝では、真宗とは教えは違うものの、声明(お経)や作法などあらためて双方の歴史や伝統の素晴らしさを感じる良きご縁となりました。

 今回の旅で感じましたことは、自分の心のよりどころ(大切にする教え)はもちろんしっかりと持っておかねばならない。けれども他の宗教や宗派を認め合うことができる、これができて初めて本当の宗教者なのかもしれないということでした。

 それを教えてくれたのは天龍寺の桜や色とりどりのツツジや石楠花でした。花たちは決して周りをうらやましがったりけなすこともなく、お互い認め合うようにそれぞれ懸命に自分の色を輝かせているようでした。お浄土に咲く青黄赤白の大輪の花と同じですね。

 認め合うことができなければ、争いしか生まれないように感じます。私も花のようにありたいと思わされたことでした。
 
 さて、五月六月も法要や講座、婦人会と行事が盛り沢山です。まだ法要などにお参りされたことのないご門徒の皆さま、ぜひともご参加してみてください。お寺へ参って自分色の花をご一緒に咲かせてみませんか?                               合掌 

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2017年04月01日

Q、お寺でお葬式ってできるんですか?

A,最近では葬儀社で通夜・葬儀を勤修することが主流になっておりますが、常照寺の門徒に限り、常照寺本堂また常照寺新館にて通夜・葬儀を勤めることができます。(門徒以外の方でも今後常照寺の門徒加入することを承諾していただくことで使用は可能です)ただし、お寺の法要等と日が重なった際は本堂の使用ができない場合もあります。

 お布施とは別に会場使用料をいただくことになりますが、お寺の本堂であればすでに阿弥陀如来さまがいらっしゃいます。仏さまの世界(浄土)が表現された金襴のお内陣があります。これ以上のお荘厳(おかざり)はありません。そのため、必要最低限のもの以外の余計な出費を省くことができるでしょう。

 ですが一番大切なことは「お寺さんでお見送りしていただきたい」という自分やご家族のお気持ちでありましょう。「まだ生きてるのに縁起でもない」などとおっしゃらず、大切なことです。今のうちにご家族と「もしもの時はどうしてほしいのか」、意思の共有をしておくことで、お互いの安心にもつながるように思います。

 詳細ご希望の方は、常照寺までご相談くださいませ。

受けとめる 大地のありて 椿落つ

2017年03月01日

 お参り中、紅白の梅の花や椿を見かけるようになりました。春の訪れですね。ついこの間年が明けたような気がいたしますが、時の流れは早いものです。

 さて、上記の言葉は浄土真宗本願寺派、武内洞達先生のお言葉と言われております。拙寺常照寺の中庭にも椿があり、今大輪の真っ赤な花を咲かせております。その椿の花を見るたびに、毎年この言葉を思い出します。

 椿は、見事な花を咲かせますが、散り方はとても大胆なものです。桜のように花びらが舞い散ってゆくわけではなく、花全体がボトっと地面に落ちてしまいます。枯れてそのまま地面に落ちた姿には、寂しい「いのちの終わり」を感じてしまいます。

 しかし先生はその姿を寂しい姿とは見られませんでした。むしろ大地の方が「精一杯生きましたね。よく頑張りましたね」と受けとめてくれている、だからこそ椿自身も安心して散っているのですね、とみられたのです。
 
 この椿は誰でしょうか?先生は他でもない「私」だとみてゆかれました。そして「精一杯頑張りましたね」と私の人生を受けとめて下さる大地を「仏さま」「仏さまの世界(浄土)」とみてゆかれました。

 誰も死後のことは分かりません。しかし、こんな私を丸ごと受けとめて下さる大きなはたらきがあると気付かされた時、私たちは大きな安心の中に苦難多き人生を歩んでゆけるのかもしれません。

 三月の春彼岸もぜひともお時間つくっていただきお参りお聴聞下さい。「聞く」ことなしには救われることなし、それが浄土真宗であります。         合掌
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