法 話

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年02月01日

(この内容は寺報昨年末号に掲載したものです)
Q、お仏壇のお正月飾りってどうしたらいいの?
A、 まずお仏壇のお掃除をしましょう。打敷(三角の布)をかけます。お正月や法事など特別な日は五具足(香炉・ロウソク立て一対・花瓶一対)にしましょう。ロウソクはもしお持ちであれば朱をお使いください。
最後に鏡餅をお供えすれば完成です。

 お仏壇のサイズによって臨機応変にお飾りください。

当たり前の ことの中に ただごとではない 幸せがある

2019年12月12日

 改元に沸いた令和元年も間もなく終わり、新たな年を迎えようとしています。皆様にとって今年はどのような一年だったでしょうか?

 喜びの多かった方は「来年も良い年になりますように」と願うでしょう。辛い事、寂しい事の多かった方は「来年は良い年になりますように」と願うでしょう。いずれにしても「良い年」を願うものです。私達は皆それぞれに「幸せ」を願い、「幸せ」を追い求めて生きているのでしょう。

 私達の人生はそうそう思うようにはいかないものです。そして思いもよらない苦難はいつどんな形で訪れるか分からないと最近身にしみて実感しています。だからこそ私達は「こうなりたい」「こうあって欲しい」と願うのでしょう。

 皆さんが望む幸せとは何でしょうか。お正月の神社の絵馬を見ると「家内安全」「恋愛成就」「心願達成」「交通安全」にはじまり実に多種多様なお願い事が書かれています。今の自分が望む切実な願いです。願わくば叶って欲しいものです。

 しかし、もしその願いが叶ったならば私達は真に幸せになれるのでしょうか。今度は別な幸せを追い求めて苦しんだり、願いが叶ったからこそ生まれる新たな悩みに苛まれることもあります。

 上記の言葉は、浄土真宗僧侶でもあり小学校教師として子どもたちの教育に生涯ご尽力なさった東井義雄先生のお言葉です。単に「当たり前のことの中に幸せがある」ではなく、「ただごとではない」を添えておられるところに東井先生の実感のこもった想いが感じられます。

 それぞれに苦難多き人生の中で、「こうなりたい」と願う前に、身近な「当たり前」に目を向け「ただごとではなかった」「有難いことだったのですね」とまず感謝することが、幸せを実感できる一番の近道なのかもしれませんね。

 ご門徒の皆様には今年も大変お世話になりました。寺族一同心より感謝申し上げます。来年も宜しくお願い申し上げます。   合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年12月01日

Q、お斎(おとき)ってなに?

A、 本来は寺院で生活する僧侶の食事のことを斎(とき)とよんでいました。基本的には精進料理です。“斎”という言葉には「正しい」「慎み」という意味があります。正しく慎み深い僧侶の食事=精進料理、とされてきたのでしょう。

 常照寺では年に一度工夫を凝らした精進料理をお出ししております。それが報恩講です。お寺で精進料理。ぜひお参りいただき、ご予約のうえ精進料理を召し上がってみませんか?

老は他人事という 若さのおごり 病気は他人事という 健康のおごり 死は他人事という いのちのおごり

2019年11月01日

 朝晩が次第に肌寒くなってまいりました。過ごしやすい季節は年々短くなってきているような気がしますが、それぞれの季節を楽しみながら過ごせたら良いですね。皆様もお身体ご自愛ください。

 上記の言葉はあるお寺の掲示板に書かれていた言葉です。頭で理解することと、この身で実感することとでは大きな違いがあります。

ある方はおっしゃいます。
「若い頃、『あんたも年取ればわかる』と言われたことが、自分が年を取ってようやくその意味がわかり、身につまされました」

ある方はおっしゃいます。
「病気になって初めて健康の有難みが身にしみました」

ある方はおっしゃいます。
「人生百年時代。自分のいのちはまだまだ先があると思っていたけれど、大切な人を突然亡くし、初めていつどうなるか分からない私のいのちだったんだと、身にこたえました」


 誰も避けることのできない老病死、にも関わらず私達はどこか他人事と日暮らししてはいないでしょうか。しかし、老病死が我が身にふりかかった時「今まで他人事だったことが、他でもない私の問題だったんだ」と気付かされます。

 あるお寺の先生は『物は心でいただき、仏法は身でいただけ』とお示しくださいました。お寺でご法話を聞いた時、ひと昔前の方々は「あぁ、今日のお話は身にしみました」「身にこたえました」「身につまされました」と我が身のうえに受けとめてゆかれたそうです。

 
 皆さんは仏さまのお話をどのように聞いておられますか?           合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年10月01日

Q、金封の水引の色、どんな時にどんな色を使うの?

A、・月命日や法事などの「お布施」(※読経料は×)
   →(水引なし)(黒白)(黄白)

  ・通夜、葬儀の「御仏前」や「御香典」(※御霊前は×)
   →(黒白)(銀)

  ・入仏法要や慶祝記念式や建碑式、結婚式などお祝い事の「御仏前」や「御祝」
   →(赤白)(金)

あくまで一つの目安として参考になさってください。

私がさびしいときに 仏さまはさびしいの

2019年09月01日

暑い夏がようやく落ち着きを見せ、季節は少しずつ秋に向かおうとしております。過ごしやすい季節になって欲しいものですね。

さて、先日山口県は長門市へ。仙崎に入り、以前より一度訪れてみたかった「金子みすゞ記念館」の文字が目に入り、吸い込まれるように中へ。みすゞさんにしか見ることのできない視点から生まれた詩の数々に、あらためて心打たれたことでした。

「さびしいとき」
私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしいときに、お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。

 さびしいという気持ちは、個人的かつ内面的なものです。周りの人にはなかなか伝わらず、ときには「なぁんだ、それくらい」と理解してもらえないことも多いものです。お母さんだけはその気持ちに気付いて「やさしく」してくれるかもしれません。優しいという字は「憂い(不安や悩み)ている人の隣に寄り添う」と書きますから、子にとって大きな心の支えとなることでしょう。
 
そんな中、仏さまはこだましてくださるのです。さびしい時に「さびしいね」と。私のさびしさを「さびしいね」とこだましてくださり、さびしさを半分に、半分に、半分にしてくださるのです。つまり、さびしさを抱えたそのまんま私が生きて行けるよう寄り添い、支えてくださるのでしょう。

こだましていただくためには、我慢せず声に出すことが必要です。皆様もお辛い時は「辛い」と声に出してください。きっと仏さまがこだましてくださいます。      合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年08月01日

Q、病気や事故が続きます。どう受け止めればいいの?

A、私達のこころは頼りないものです。病気や事故が続くと言いようのない不安に襲われます。原因を自分の外に求め、ときにはご先祖様のせいにしてしまいます。
 
 しかし、苦しみの原因を外ではなく自己の内面に求めてゆくのが仏法です。病気になったことで、事故にあったことで「自分は今一番何に苦しんでいるのか」を見つめ心の中を整理してゆきます。

 とはいえ苦しみの解決など簡単にはできません。ですが、「苦しみ悲しみは消えないけれど、その苦しみ悲しみを抱えたまま生きてゆける力となってくださるもの」それもまた仏法です。

つもりちがい十ヶ条

2019年07月01日

 五月は季節外れの暑さとなり、北海道で三十九度を超えたというニュースにびっくりされた方も多かったのではないでしょうか。「五月でこれでは今年の夏は大変な暑さになるのでは?」と構えたものの六月は朝晩の肌寒さにまたびっくり。それでも暑い夏はやってくるのでしょう。「熱中症は屋外の方が危険」と思いがちですが、実は「屋外よりも室内で発症している」というデータがあります。どうぞ季節ごとにお身体ご自愛くださいませ。

 さて、下記の言葉は私がお寺の専門学生時代に学校の下駄箱で出遇った言葉です。

 高いつもりで 低いのが 教養
 低いつもりで 高いのが 気位(プライド)
 深いつもりで 浅いのが 知識
 浅いつもりで 深いのが 欲望
 厚いつもりで 薄いのが 人情
 薄いつもりで 厚いのが 面皮(面の皮)
 強いつもりで 弱いのが 根性
 弱いつもりで 強いのが 自我
 多いつもりで 少いのが 分別
 少いつもりで 多いのが 無駄
 そのつもりでがんばりましょう
      (つもりちがい十ヶ条)

 私には「つもりちがい」がどれくらいあるのだろうかと足を止め考えさせられたものです。自分では気付くことの出来ない己の姿、映し出して下さる鏡こそ仏法なのでしょう。
 
 皆さんにも思い当たる言葉がありますでしょうか?               合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年06月01日

Q、お寺でお葬式ってできるの?

A、以前一度ご案内致しましたが、常照寺では「本堂葬」「新館葬」を勤修することができます。お布施とは別に会場使用料を添えていただくことにはなりますが、本堂お内陣以上のお荘厳(お飾り)はありません。祭壇を組む必要もなく、費用も通常より抑えることができま
す。
 駐車場は約二十台まで。宿泊はできませんが、約三十名ほどでお食事できるお部屋もご用意できます。

 使用可能対象は「常照寺門徒」または「これから門徒になる方」に限らせていただきます。

世のなか安穏なれ

2019年04月24日

 4月1日、新元号「令和」が発表されました。国内では645年の「大化」以降、248番目の元号となるようです。
 出典はこれまでのように中国の古典からではなく、初めて日本の古典から選ばれたことでも話題となりましたね(源流をたどれば、中国の詩文集「文選」に由来するという指摘もあるようですが)。

 「令和」は日本最古の歌集、「万葉集」の「梅花の歌三十二首の序文」に拠るとされ、

 「時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」

現代語で表しますと、

 「時は初春の良き月夜であり、空気は澄み風は和らぎ、梅は美人が鏡の前で白粉を装うように花を開き、蘭は身を飾る衣にまとう香のように薫らせる」

という意味になります。

 天平2(730)年の正月、歌人であり大宰府長官でもあった大伴旅人(おおとものたびと)が大宰府の邸宅(現・福岡県太宰府市)にて開いた宴会の情景を記したもので、梅の開花と春の訪れを喜んだ内容のようです。
 この宴会には三十二人が参会し、それぞれが梅の花にまつわる和歌を詠みました。序は旅人自身が作ったとされていますが、諸説あり作者不明のようです。

 いずれにしても新元号ゆかりの地が福岡というのはどこか嬉しいものですね。

 五月一日より令和元年となります。数年後には新紙幣も発行され、様々なものが変わってゆくのでしょう。目まぐるしく変化してゆく時代の中で、「変わってゆく大切さ」と「変わらない大切さ」を自分自身で見極めて生きてゆかなければなりません。

 どのような時代になってゆくのか、先のことは分かりませんが、世界の平和と、心が少しでも穏やかでいられるような時代を願うばかりです。

  世のなか安穏なれ(『親鸞聖人御消息』より)                        
                      合掌
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