法 話

ゆらいでいい

2021年03月01日

 先月ほどの寒さはなくなりましたが、暖かな日と肌寒い日の寒暖差になかなか体がついていかない季節です。穏やかな春が待ち遠しいものです。皆様もくれぐれもご自愛くださいませ。

 さて、前回の寺報でもご紹介致しましたが、一般社団法人リヴオン代表の尾角光美先生が教えてくださった大事な言葉をもう一つだけ皆様にお伝えさせていただけたらとご紹介させていただきます。

その言葉が「ゆらいでいい」でした。

 グリーフとは「大切な人やものを失うことで生じる、その人なりの自然な反応、感情、プロセス」のことです。まず大切なのは「グリーフは悲しみだけではない」ということです。後悔、怒り、安心、時には無感動と様々な形であらわれます。いずれもその人にとって大事な反応です。
 
 私達は例えば大切な人を失った時、亡き人のことを思い出したり、なかなか前に進めないこともあります(喪失志向)。しかしそれではいけないと、新しい生活に適応しようと努力したり、趣味や生きがいを探してみたりします(回復志向)。つまり「喪失志向から回復志向へと向かってゆくこと」が良い状態、大切だと思いがちです。

 しかしある海外の研究では、喪失志向と回復志向のはざまで何度も何度も「ゆらいでいく」ことこそ、その人が喪失に折り合いをつけるためにとても大切なことだと二十年ほど前から提言されているようです。

 つまり、喪失志向へ向かう時があっても良いということでした。そして「どちらの志向も大切なんだと周りや社会が認めてくれたら、その人は上手くゆらげるんです。ゆらぐ自分を認めてあげられるんです」と教えてくださいました。
 

「ゆらいでいい」、この言葉に救われる方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年02月01日

(この内容は寺報昨年末号に掲載したものです)

Q、除夜の鐘はどんな意味があるの?

A、除夜の鐘の数は108回。これは人間の煩悩の数ともいわれておりますが、鐘をつくだけで簡単に消すことのできないのが私達の煩悩でありましょう。

 親鸞聖人は「煩は身をわずらわしむ、悩は心を悩ます」と仰っておられます。身にも心にも色々なことがあった一年を、鐘の音とともに振り返り、来る新たな年を新たな想いで生きてゆくための大切な節目と受けとめたいものです。

大切な人をなくした人のための権利条約

2020年12月11日

 先日、とあるオンライン講演会に参加した際、大変心に残る言葉にであいました。「グリーフケアが当たり前にある社会」の実現を目指す一般社団法人リヴオン代表の尾角光美さんの言葉でした。以下『大切な人をなくした人のための権利条約』です。


第1条 悲しんでもいい 落ち込んでもいい

「がんばらないと」「心配かけてはいけない」と気丈にふるまっているかもしれません。でも時に自分の心の奥にある声に耳を傾けてみてください。悲しみ落ち込むことは自然なことです

第2条 自分を許してもいい

自分を責めるのはその人の存在が大事だった証です

第3条 考えない 思い出さないときもいい

亡くなった人はそんなあなたを責めないでしょうから

第4条 自分を大切に

「みんな大変だから」と我慢することも尊いことです。でも大切なのはあなたがあなたらしく生きてゆけることです

第5条 助けてもらうこと

「お互いさま」です。「助けて」は悪いことではありません

第6条 みんなちがって それぞれにいい

感じ方は人それぞれ。ただあなたが「そう感じている」ということが真実なのです

第7条 自分の人生を歩んでいい

失った相手の存在とともに あなたの人生を歩んでいくことは きっとできます


 この権利条約を自分自身に伝えてあげることはとても大切なことではないでしょうか。

 本年も皆様には大変お世話になりました。寺族一同心より感謝申し上げます。寒さ厳しき折、くれぐれも心身ご自愛くださいませ。来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年12月01日

Q、お寺で「七五三」ってできるの?

A、十一月は七五三の季節ですね。常照寺では、赤ちゃん誕生後の「初参式」から「七五三」・「成人式」・「結婚式」や「還暦」・「結婚記念日」など、様々なお祝いをお勤めさせていただいております。

 大切な記念日を仏さまとご一緒に、ご家族のみでお祝いされませんか?記念品・記念写真をご用意しております。ぜひお寺までご予約ください。

(こちらは寺報11・12月号に掲載し、10月末にご門徒さんへ配布した内容となっております)

鬼は私の心の在りよう

2020年11月01日

 キンモクセイの香りに秋の訪れを感じる季節となりました。昼夜の寒暖差が激しい時期です。くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

 さて、世間は今「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」という漫画が空前のブームを引き起こしています。最近上映が始まった映画では歴代一位の興行収入と観客動員数を記録し、コンビニや回転寿司店、ゲームセンターなどでは多数のコラボ企画が好評継続中です。

 この鬼滅の刃、実は仏教や浄土真宗色を随所に感じてしまう漫画なのです。「南無阿弥陀仏」と念仏し、「仏説阿弥陀経」を読経したり、名前に「甘露(かんろ)(お釈迦様が誕生された時に降った甘い雨)」とつくキャラクターがいたり。「彼岸花」や真宗多派の宗派の紋にも使用されている「藤(の花)」が物語の中で大きなポイントとなっていたり、共(ぐ)命(みょう)鳥(ちょう)(仏説阿弥陀経に説かれている鳥。頭が二つありそれぞれの思考を持つが命は一つ)を彷彿とさせる鬼が出てくるなど、とにかく私達僧侶はついついそのような仏教的目線で見てしまうのです。

 一言では言えませんが、あえて一言で言うならば「日本一やさしい鬼退治」。

 鬼に家族を殺された主人公の少年は、鬼となった妹を人間に戻すべく鬼を滅する旅に出る、これだけなら単なる鬼退治です。鬼滅の刃が「日本一やさしい鬼退治」なのは、鬼が鬼となった因果にもしっかりスポットを当てるところ。そして少年は「鬼は人間だったんだから」「醜い化け物なんかじゃない」「鬼は悲しい生き物だ」と、鬼さえ陽の光のような優しさで包み込み、救ってゆく、ここに読者を惹きつける魅力があるような気がします。

 鬼滅の刃から考えさせられることは、「鬼というのは私の心の在りようではないか」ということです。穏やかに過ごしたいと願っても、縁に触れれば腹を立て、誰かを嫉み、憎み、満たされない想いを抱えたまま苦しんでいる、これは他人事ではなく私のことだったのかもしれません。そして、そんな私でさえ陽の光のような優しさで包み込み、救わんとはたらいてくださっているのが仏さまだったのかもしれません。              合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年10月01日

Q、○○家と□□家、一緒に納骨してもいいの?

A、嫁ぎ先と実家など、複数の納骨堂をみていかないといけないという方も少なくありません。それぞれに管理費を納めたり、次世代への負担を心配なさる方も多いです。

 常照寺納骨堂に関してですが、
・ご家族のご事情次第
・ご家族やご親族間で話し合い済み 等
であれば一緒に納骨も可能です。

 ご心配な方は一度常照寺までご相談ください。

二河白道(にがびゃくどう)の譬(たと)え (善導大師『観経疏(かんぎょうしょ)』)

2020年09月01日

 猛暑の八月もようやく終わりを告げようとしております。皆様も暑さの中、マスクを着けての生活は大変だったことと思います。残暑厳しい時節、どうぞくれぐれも御身ご自愛くださいませ。

 さて秋のお彼岸が近づいて参りました。お彼岸とは春分・秋分の日を真ん中に据えた計七日間を言います。彼岸とは仏さまの世界ということです。


 親鸞聖人が大変尊敬なさった中国の善導大師による「二河白道」という譬え話には、

西へ向かう旅人(迷いの世を生きる私)の前に、北に水の河(人間の持つ怒りや憎しみの煩悩)南に火の河(人間の持つ貪りや執着の煩悩)が立ちはだかる。交互に押し寄せる二つの河の真ん中にはわずか四~五寸ほどの白い道(阿弥陀仏よりたまわる信心)が東の岸(此の世)から西の岸(浄土・彼岸)へ真っ直ぐ続く。背後からは旅人を殺そうと群賊・悪獣(念仏の教えを否定する人たち)が迫る。絶体絶命のその時、東の岸から「その道を進んで行きなさい」と勧める声(釈迦の教え)が。同時に西の岸から「汝よ、一心にためらいなくこちらへ来なさい。私は必ずあなたを護ります」と喚ぶ声(弥陀の本願)が。それらの声に身をまかせた旅人は白道を進む(自力の行を捨て念仏生活を営む)。途中「おい!その道は危険だ!戻ってこい!」と背後の群賊・悪獣が誘惑する(「念仏では救われない」と説く人たち)。それでも惑うことなく白道を進むと西の岸へ辿り着いた(浄土へ往生し阿弥陀仏とお会いして、慶び極まりない様子)。

と説かれています。

 春分・秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈みます。ひと昔前の方々は真西に浄土(彼岸)を想い手を合わせておられたそうです。

 皆様も今年のお彼岸には、お仏壇のお掃除、お墓や納骨堂へお参りし、夕日の沈む方へ手を合わせてみられてはいかがでしょうか。
                   合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年08月01日

Q、常照寺納骨堂へのお参り。お供え物は何でもいいの?

A、亡き人がお好きだった物など、皆さん心の込もった物をお供えしておられます。ところが近年は猛暑の影響もあり、お供えされた果物が数日後には腐っていたり、お団子にカビが生えたり、コバエが飛ぶなどが見受けられます。
 
納骨堂を清潔に保つことができますよう、お供え物は傷みやすいものを極力避けていただきお酒等の飲み物はふたを開けずにお供えしていただければ幸いです。

拝まない者も  おがまれている 拝まないときも  おがまれている (東井義雄)

2020年07月01日

「お盆ってご先祖様が帰ってくるんですよね?」

毎年のお盆参りの際に、ご門徒さんからよく尋ねられる言葉です。私達日本人にとってお盆は、お墓や納骨堂へお参りし、ご先祖様を偲ぶ大切な行事となっています。

 本来「お盆」とは「盂蘭盆(うらぼん)」の略称です。古いインドの言葉「ウランバナ」の音訳で、「逆さ吊り」という意味があります。『盂蘭盆経』というお経には、

  【釈尊十大弟子の一人、神通第一の目連尊者は、亡き母が餓鬼道で苦しむ姿を見てしまう。必死に母を救い出そうとする目連尊者がお釈迦様の教えに出遇って救われてゆく】

という因縁が説かれています。一説にはお盆の由来ともいわれています。

冒頭のご質問に、以前私は
「ご自身はどう思われますか?」とお返しました。すると、
「そうですね・・・帰ってくるというよりも、帰ってきて欲しいなって思います」と話してくださいました。

亡き人が大切な方であればあるほど、「会いたい」「会えなくともそばに感じたい」と思う。お盆というのは亡き人を偲ぶだけでなく、残された方がこれからを生きてゆくための大切なひとときなのだと教えていただいたことでした。

浄土真宗は「大切な亡き方はいつもそばにいてくださる」と受けとめてゆきます。上記の東井先生のお言葉にもありますように、「亡き人におがまれている私」それはつまり「亡き人は仏さまのおはたらきとなって、いつも私のそばにいてくださる」と受けとめることができるのではないでしょうか。

目に見えないつながりを感じ、感謝の想いで手を合わせるお盆にしたいものですね。
合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年06月01日

Q、法事は延期してもいいの?

A、新型コロナウイルスの影響により、ご法事のご心配をなさっている方も少なくありません。常照寺といたしましては「全く問題ありません」とお伝えしております。

 ご法事の最も相応しい日取りは、ご家族の皆様が一番集まりやすい日と考えております。

 このような社会情勢です。ご心配の中、無理にご命日にこだわることなく、皆様が安心して集まれる日取りに再度ご予約なさってください。

(当記事は4月末にご門徒様へお届けした寺報の内容を記載しております)
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