法 話

私の願いはわがまま  仏さまの願いはそのまま

2022年11月01日

 先日、「栗の皮・果肉・種はどこだと思いますか?」というクイズを目にしました。皆さんは答えをご存知だったでしょうか。

 実は「私たちが実と思って食べている部分が種、とげのあるイガが皮、かたい鬼皮が果肉」なんだそうです。私たちは栗の種を食べていたのですね。驚きでした。

 さて、栗といいますと、昔の道話(人の道を説いた話)に“栗の食べ方”というお話があるのだそうで
す。


  ここに十個の栗がある。
  この栗をおいしく食べるには、最初に一番おいし  
  そうな栗を食べる。
  次に九個のうちで一番おいしそうな栗を食べる。
  次に八個のうち、七個のうち、六個のうちと順 
  次、残った中で一番おいしそうな栗を食べて、
  最後に残りの一番おいしい栗を食べ終わる。
  こうすると、全部の栗をことごとくおいしく食べ 
  たことになるわけである。
 これとは逆に、最初に十個のうちで一番まずそうな 
  栗を食べる。
  次に九個のうちで一番まずそうな栗を食べる。
  かくて順次にまずい栗を食べて、最後のまずい栗 
  を食べ終わったとき、
  全部の栗をまずく食べたことになるのである。

 「これは私たちの日常にも通じるお話です。自分の心の持ちよう次第で日常は幸せにも不幸せにもなってゆく。有難いと感謝の想いで日々を過ごしていけたら良いですね」、そんな言葉とともに紹介されておりました。

 確かに日々を前向きに、何事もプラス思考で過ごしていけたら素晴らしいだろうと思います。しかし、生きていれば前を向けなかったり、落ち込んだりすることだってあります。あっていいと思うのです。

 そんな私のことを「そのままのあなたでいいんだよ」と包み込んで下さるのが仏さまなのでしょう。
             合掌

手話を学びはじめて

2022年09月01日

 今年の五月より手話を習い始めました。「北九州市手話奉仕員養成講座」といい、一年間全四十五講座で修了となります。以前より手話に多少の興味はあり、数年前から養成講座の存在も耳にしてはいたのですが、様々なご縁もあり「迷うくらいなら一歩踏み出してみよう」と参加するに至りました。
 
 まだまだ挨拶や自己紹介程度しかできませんが、毎回多くの学びや刺激をいただいております。それは手話の技術だけではありません。手話は単なるコミュニケーションツールではなく国際的にも「言語」として認められているということや、障がいを持つ方の目線に立つことの大切さや難しさ、そしてこの講座で学んだことを周囲に伝え、皆で理解していくことの大切さなど、多岐にわたります。

 講師は聴覚障がい者の先生方。いずれも素晴らしい方ばかりです。障がいとともに生きる方々と身近に接することで、「特別な人と接している感覚」も次第に薄らいでゆき、良い意味で価値観や世界観が広がっていくような感覚も、とても大事なことだと感じています。

 この講座の修了時、どれくらい手話で会話ができるようになっているのかわかりませんが、受講して良かったとすでに感じています。皆さんももし興味がありましたらぜひ受講なさってみてください。

 残暑厳しき折、皆様くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。                  合掌

人生 山あり ダニあり

2022年07月01日

 早いもので今年も半分が過ぎようとしております。九州北部もようやく梅雨入りしましたが、平年より七日遅く、昨年より一ケ月遅い梅雨入りだったようですね。短い梅雨となるのでしょうか。とにかく日本各地で大きな水害が起こらないことを願うばかりです。

 さて、話は変わりますが、五月頭のこと。法事等でお参りをし、立ち上がる際に右足に強い痛みを感じました。お風呂に入った際も右膝の裏の沁みること沁みること、言葉で表現するならば「痛っ」程度ではなく「痛った~!」といった感じでしょうか。膝裏のため見づらい場所でしたが、黒っぽいかさぶたのようなものがピラピラとしているのが確認できました。きっとイボでも出来てつぶれたんだろう、それくらいにしか考えておりませんでした。

 それから三~四日後、痛みは多少弱くなった気はしておりましたが、患部をみると黒っぽかったものが灰色に・・。「あれ?かさぶたにしてはおかしいな」とライトを照らしてよく見てみますと、なんと、足が生えているではありませんか・・・。マダニだったのです。時間は二十三時、大雨の夜でした。

 マダニというと亡くなる方もあるとニュースで聞きます。しかし不思議なものでなぜかとても冷静でした。マダニに軽く息を吹きかけ、「あらら、足がゆっくりと動いているということは、まだ生きているのかな」と確認できるほどでした。

 しかし家族の強いすすめで急いで救急病院へ。医師からは「無理に引きちぎらなくて良かったですね。皮膚にマダニの一部が残ってしまうと大変でしたよ」と言われましたが、結局マダニのみ切除することはできないので、局部麻酔し、マダニが咬みついている周りの皮膚ごと切開することとなりました。以降何度か通院し、発熱もなく、血液検査の血小板の数も異常はみられなかったのでホッとしたことでした。


 いつ何が起こるか分からないものですね。まさに『人生、山ありダニあり』。 皆さんもどうぞお気
をつけくださいませ。もしもの際は速やかに医療機関へかかられてください。         合掌

兵戈無用(ひょうがむよう)

2022年05月01日

 桜も散り、五月を迎えようとしております。花が散る姿に世の無常を感じさせられますが、この数か月、ウクライナのニュースを観るたびに、平和だと思っていたものが一瞬にして崩れ去っていくことを痛感させられます。

 情報を得ることも大切なことですが、ニュースを観ることで心を痛め、辛い想いをなさるようであれば、ご自身の心を保つために観ないこともまた大切なことです。

 さて、お釈迦さまは戦争というものをどのように捉えておられたのでしょうか。

 浄土三部経の一つ『仏説無量寿経』の下巻(現代語訳)にはこのように説かれています。

「仏が歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる(兵戈無用)。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲りあうのである」

 『法句(ほっく)経(きょう)』というお経には次のように説かれています。
「この世において、怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みは息(や)むことがない。怨みを捨てて
こそ息(や)む。これは永遠の真理である」

 また、親鸞聖人が和国の教主(日本のお釈迦様)と讃えた聖徳太子は、十七条憲法の冒頭に、「和をもって貴しとなす」と示され、親鸞聖人は門弟に宛てた手紙の中で、「世のなか安穏(あんのん)なれ 仏法ひろまれ」とお伝えになっておられます。
 
 平和を願う仏教を心の依り所とさせていただきながら、今こそ「兵戈無用」というお釈迦さまの願いを大切にしたいものです。                                        合掌

盲亀浮木のたとえ 『雑阿含経より』

2022年03月01日

 悲喜こもごもの結果となった北京オリンピックが終わりました。選手の皆さんに「本当にご苦労様でした。お疲れさまでした」とお伝えしたい想いです。

 オリンピックは四年に一回。四年は約千四百六十日。それだけ長い間努力を積み重ね、心と身体のコンディションをたった一瞬のためにベストの状態にもってくるということは相当に難しいことだと思います。

 そんなことを考えていた時、ふと頭に浮かんだ仏教の教えが上記の言葉でした。

 ある日お釈迦様が弟子の阿難尊者に「人間に生まれたことをどう思っているか?」と尋ねます。
阿難尊者は「大変うれしく思っております」と答えます。
ここでお釈迦様は一つのたとえ話をされます。
「大海の底に目の見えない亀(盲亀)がいる。その亀は百年に一度海面に顔を出す。その大海に一本の浮木が漂っており、その木の真ん中に穴が一つ空いている。阿難よ、百年に一度浮かび上がってくる亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあると思うか?」
阿難尊者は「とても考えられません」と答えます。
するとお釈迦さまは「誰もがあり得ないと思うだろう。しかし全くないとは言い切れない。阿難よ、人間に生まれるということはこのたとえよりも難しいことなのだ。それほど有り難いことなのだよ」
と説かれました。

 私達は自分が人間として生まれたことに疑問を持つことは少ないように思います。しかしこの世の中に数えきれない生き物がいる中で、私達はどんな不思議あってか、非常に生まれ難い人間として命をいただきました。

 さらに、生まれ難い人間に生まれた人の中でも、仏さまの教えに出遇うことができる人はほんの一握りと言われます。そう思いますと今私達が「生まれ難い人間に生まれ、遇い難い仏法に出遇っている」ということは、実はとてもとても不思議なことなのですね。                   合掌

生色生光 老色老光 病色病光 死色死光

2021年12月27日

 先日の報恩講法要にて、ご講師の赤井先生より心に響くお話を聞かせていただきました。その一つが上記の言葉でありました。

 仏説阿弥陀経というお経の中に、

 青色青光(しょうしきしょうこう)
 黄色黄光(おうしきおうこう)
 赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)
 白色白光(びゃくしきびゃっこう)
と出てまいります。

「仏さまの世界(お浄土)には車輪のように大きな蓮の花が咲き、青い蓮の花は青い光を、黄色い蓮の花は黄色い光を、赤い蓮の花は赤い光を、白い蓮の花は白い光を放っている」、つまり一つ一つの蓮の花は誰かと比べることなく、自分だけの尊い光を放っていると説かれているのです。

 赤井先生はこの青黄赤白を生老病死に置き換えられました。私達は老・病・死というものを避けて通りたいと願います。できることなら、健康で、長生きして、このいのちを全うしたい、それが私達の想いでありましょう。

しかし、赤井先生はこのようにお話してくださいました。
「仏さまというお方は、
生色生光・・・生きているあなたのいのちそのものが、
老色老光・・・老いていくあなたのいのちも、
病色病光・・・病んでいくあなたのいのちも、
死色死光・・・死にゆくあなたのいのちも、
尊く、輝いているんだ、そう見て下さっているのですよ」

 たとえ私がそのようには受け取れなくとも、「どのようなあなたであろうとも、尊く、輝いているのです」という仏さまの願いが至り届き、厳しい出来事の中で何か一つ「気付き」があったならば、いつか「無駄なことは一つもなかった」と受けとめてゆける時が来るのかもしれませんね。

 ご門徒の皆様方には本年も大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。     合掌

無財の七施

2021年11月01日

 十月後半になり、急に朝晩が冷え込むようになってまいりました。世の中には「春夏冬」と書いて「あきない」と読む名字の方もいらっしゃるそうですが、まさに今年は秋を通り越して夏から冬に近づいたような日もございます。くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。
     
 上記の言葉は「雑宝蔵経」というお経に説かれている仏教の教えの一つです。「お金や物がなくともできる七つの施し」のことです。つまり「誰にでもできる施し」ともいえるのかもしれません。

 皆さんも「自分はいくつくらいできているだろうか」という想いでご覧になってみて下さい。


一、眼施(げんせ)…人に対し、やさしい眼差しで接すること。
二、和顔施(わげんせ)…柔らかい笑顔で接すること。
三、言辞施(ごんじせ)…やさしい言葉で接する。    
四、身施(しんせ)…重い荷物を持ってあげる、お年寄りや身体の不自由な方を手伝う。
五、心施(しんせ)…思いやりの心を持って相手に接する。
六、床座施(しょうざせ)…相手に席をゆずったり、立場をゆずること。
七、房舎施(ぼうじゃせ)…雨風をしのぐ場所をあたえる、あたたかく迎える。


 できることならいつもこのようにありたいとは思いますが、私自身は出来ていることの方が少ないように感じます。しかしこのような言葉に触れることで、生活の中に小さな変化が生まれてくるような気がいたします。

 お釈迦様によって仏教が説かれたのは二千五百年以上前。どれだけ時代や社会が変わろうとも、仏教はいつも私達に大切なことを教えてくださるのですね。          合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年10月01日

Q、「お彼岸」ってなあに?
(こちらは8月末にご門徒さんへお届けしました常照寺寺報9・10月号に記載した内容となっております)

A、三月と九月はお彼岸の月です。期間は春分の日もしくは秋分の日を真ん中にはさんだ七日間をいいます。春は牡丹の花の季節からぼたもち、秋は萩の花の季節からおはぎをお供えするとも言われています。

 彼岸とは彼の岸、つまり仏さまの世界を意味します。その仏さまの世界ははるかかなた西の方にあると仏説阿弥陀経に説かれています。

 春分・秋分の日は太陽が真東より昇り真西に沈みます。お彼岸には可能な範囲でお墓参りをなさってください。そして夕日の沈む西へ向かって手を合わせ、一足先に仏さまの世界へ生まれてゆかれた亡き方々を想う期間にしたいものです。

中道(弾琴の喩え)

2021年09月01日

 新型コロナ感染拡大・オリンピック・大雨災害など、この夏も様々なことがありました。今後どのような世の中になっていくのか、多くの方が「先の見えない不安」を抱えています。

 私もそうですが、人は継続して不安を感じ続けると、身体や心が疲れやすくなってしまうものです。その状態でなお「頑張って」しまうと、身体や心が疲れていることにすら気が付けない状態になってしまいます。

「何事も、楽はしすぎず、でも無理もしすぎない」という生き方は、きっといつの時代も大切なのでしょう。


 仏教に「中道(ちゅうどう)」という教えがあります。
お釈迦様の弟子ソーナは、人一倍厳しい修行を続けたものの、なかなか悟りを得られず、ならば世俗に還り、それなりの資産をもつ実家でそれなりの生活をした方がいいのではないかと悩んでおりました。

するとお釈迦様は、ソーナにこう言いました。
「おまえは出家前、琴を弾くのが上手だったと聞く。琴は糸を張りすぎても、緩すぎても、良い音色は出ない。ちょうどいい張り方をして、初めて良い音色が出るものだ。
悟りに至る道もこれと同じである。楽をしすぎても道を得られず、頑張りすぎても決して悟りには至らない。身と心を平穏に保つことを目標にして精進をしてみなさい」
ソーナはこの教えを受け入れ、やがて悟りに至ることができました。

 仏教の教えが、皆さんの身体と心を和らげるささやかな一因になればと願いつつ、今回は中道という教えをご紹介させていただきました。                      合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年08月01日

Q、常照寺納骨堂へのお参り。お供え物は何でもいいの?

A、亡き人がお好きだった物など、皆さん心の込もった物をお供えしておられます。ところが近年は猛暑の影響もあり、お供えされた果物が数日後には腐っていたり、お団子にカビが生えたり、コバエが飛ぶなどが
見受けられます。
 
 納骨堂を清潔に保つことができますよう、お供え物は傷みやすいものを極力避けていただき、お酒等の飲み物はふたを開けずにお供えしていただければ幸いです。
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