法 話

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年10月01日

Q、「お彼岸」ってなあに?
(こちらは8月末にご門徒さんへお届けしました常照寺寺報9・10月号に記載した内容となっております)

A、三月と九月はお彼岸の月です。期間は春分の日もしくは秋分の日を真ん中にはさんだ七日間をいいます。春は牡丹の花の季節からぼたもち、秋は萩の花の季節からおはぎをお供えするとも言われています。

 彼岸とは彼の岸、つまり仏さまの世界を意味します。その仏さまの世界ははるかかなた西の方にあると仏説阿弥陀経に説かれています。

 春分・秋分の日は太陽が真東より昇り真西に沈みます。お彼岸には可能な範囲でお墓参りをなさってください。そして夕日の沈む西へ向かって手を合わせ、一足先に仏さまの世界へ生まれてゆかれた亡き方々を想う期間にしたいものです。

中道(弾琴の喩え)

2021年09月01日

 新型コロナ感染拡大・オリンピック・大雨災害など、この夏も様々なことがありました。今後どのような世の中になっていくのか、多くの方が「先の見えない不安」を抱えています。

 私もそうですが、人は継続して不安を感じ続けると、身体や心が疲れやすくなってしまうものです。その状態でなお「頑張って」しまうと、身体や心が疲れていることにすら気が付けない状態になってしまいます。

「何事も、楽はしすぎず、でも無理もしすぎない」という生き方は、きっといつの時代も大切なのでしょう。


 仏教に「中道(ちゅうどう)」という教えがあります。
お釈迦様の弟子ソーナは、人一倍厳しい修行を続けたものの、なかなか悟りを得られず、ならば世俗に還り、それなりの資産をもつ実家でそれなりの生活をした方がいいのではないかと悩んでおりました。

するとお釈迦様は、ソーナにこう言いました。
「おまえは出家前、琴を弾くのが上手だったと聞く。琴は糸を張りすぎても、緩すぎても、良い音色は出ない。ちょうどいい張り方をして、初めて良い音色が出るものだ。
悟りに至る道もこれと同じである。楽をしすぎても道を得られず、頑張りすぎても決して悟りには至らない。身と心を平穏に保つことを目標にして精進をしてみなさい」
ソーナはこの教えを受け入れ、やがて悟りに至ることができました。

 仏教の教えが、皆さんの身体と心を和らげるささやかな一因になればと願いつつ、今回は中道という教えをご紹介させていただきました。                      合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年08月01日

Q、常照寺納骨堂へのお参り。お供え物は何でもいいの?

A、亡き人がお好きだった物など、皆さん心の込もった物をお供えしておられます。ところが近年は猛暑の影響もあり、お供えされた果物が数日後には腐っていたり、お団子にカビが生えたり、コバエが飛ぶなどが
見受けられます。
 
 納骨堂を清潔に保つことができますよう、お供え物は傷みやすいものを極力避けていただき、お酒等の飲み物はふたを開けずにお供えしていただければ幸いです。

咲いた花を 喜ぶものは多いが 咲かせた根を  労(ねぎら)うものは少ない

2021年07月01日

 ワクチン接種が始まりました。お参りに伺いますと、二回接種が無事に終わり安堵されておられる方もあれば、オンライン予約が難しく、接種券が届いてもなかなか予約が取れずに困っておられる方も少なくないご様子でした。

一日も早く希望なさる方の接種がスムーズに進むことを願うばかりです。

 「お寺さんも優先されても良いと思うんですが」と仰って下さる方々もありましたが、優先されることはなさそうです。


 さて上記の言葉は、とあるお寺の掲示板に書かれていた言葉です。詩人の相田みつをさんも

「花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根はみえねんだなあ」

という詩を残されておられますが、私達は綺麗なお花が目に留まることはあっても、その地面の下でしっかりと花を支えてくれている根に想いを寄せることは少ないように思います。

上記の言葉を読み替えるならば、

「目に見えるものに気付く人は多いが、目に見えないものに気付く人は少ない」

といったところでしょうか。


 サンテグジュペリの『星の王子さま』にこのような一節が出てきます。

「肝心なことは目では見えない。心で探さなくちゃダメなのさ」

目に見えないものにこそ大切なものが隠れているのかもしれません。そこに想いを寄せることができる、そんな豊かな心を養いたいものです。

 暑さ厳しい季節となります。どうぞお身体ご自愛くださいませ。           合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年06月01日

Q、朝食はパン。お仏(ぶっ)飯(ぱん)はいつお供えしたらいいの?

A、お仏飯とは昔より日本人の主食であったご飯を仏さまへお供えし、食の命を頂いて私が生かされている事に感謝させて頂くためのものです。仏さまや亡き人が食べるための食事としてお飾りしているのでは
ない、というところに驚かれる方も多いかもしれませんね。

  そう考えますと「主食はパンです」という方には「お仏飯」ではなく「お仏パン」のお供えでも良さそうな気もしますが、やはり仏飯器に盛るのはご飯がふさわしいでしょう。

 「夕食しかご飯を炊きません」という方は夕方のお供えでも結構です。ご飯を炊いた時にはご自身がいただく前にまず仏さまにお供えなさってください。

行為の意味

2021年05月01日

 去る三月、東日本大震災から十年を迎えました。節目ということもあり、数日前から震災関連の報道番組をよく見かけるようになりましたが、とある被災者の男性の「あなたたちは十年が節目だと思うかもしれないけれど、私達にとっては何年経っても節目は来ない」という言葉を耳にした時、自分の浅はかさに落胆したことでした。

 震災直後で思い出すことは、ACジャパンのCMです。その中で印象的だったのは

  「こころ」はだれにも見えないけれど
  「こころづかい」は見える
  「思い」は見えないけれど
  「思いやり」はだれにでも見える

という言葉でした。埼玉が生んだ詩人・宮澤章二さんの『行為の意味』から抜粋要約したフレーズです。『行為の意味』は次のような言葉で締めくくられております。

  あたたかい心が
  あたたかい行為になり
  やさしい思いが
  やさしい行為になるとき
  〈心〉も〈思い〉も
  初めて美しく生きる
  ・・・それは
  人が人として生きることだ

 コロナ禍によりどこか殺伐とした私達のこころ。人が人として生きるとはどういうことだったか、今あらためて『行為の意味』から大切なことを教えられたような気がいたします。 合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年04月01日

Q、お骨になった後でもお葬式ってできるの?

A、様々なご事情で「お葬式をしてあげられなかった」ことに心を痛めておられる方もいらっしゃいます。そのような方には「骨葬」をご提案させていただいております。

 お骨になった後でも葬儀はできます。帰敬式を行うことで「法名」もつけることができます。白木のお位牌も常照寺でご用意しております。

 儀式を行うことは、残された方がこれからを生きていくために、自分の心を少しずつ整理するための大切なプロセスとなります。お気軽にご相談ください。

ゆらいでいい

2021年03月01日

 先月ほどの寒さはなくなりましたが、暖かな日と肌寒い日の寒暖差になかなか体がついていかない季節です。穏やかな春が待ち遠しいものです。皆様もくれぐれもご自愛くださいませ。

 さて、前回の寺報でもご紹介致しましたが、一般社団法人リヴオン代表の尾角光美先生が教えてくださった大事な言葉をもう一つだけ皆様にお伝えさせていただけたらとご紹介させていただきます。

その言葉が「ゆらいでいい」でした。

 グリーフとは「大切な人やものを失うことで生じる、その人なりの自然な反応、感情、プロセス」のことです。まず大切なのは「グリーフは悲しみだけではない」ということです。後悔、怒り、安心、時には無感動と様々な形であらわれます。いずれもその人にとって大事な反応です。
 
 私達は例えば大切な人を失った時、亡き人のことを思い出したり、なかなか前に進めないこともあります(喪失志向)。しかしそれではいけないと、新しい生活に適応しようと努力したり、趣味や生きがいを探してみたりします(回復志向)。つまり「喪失志向から回復志向へと向かってゆくこと」が良い状態、大切だと思いがちです。

 しかしある海外の研究では、喪失志向と回復志向のはざまで何度も何度も「ゆらいでいく」ことこそ、その人が喪失に折り合いをつけるためにとても大切なことだと二十年ほど前から提言されているようです。

 つまり、喪失志向へ向かう時があっても良いということでした。そして「どちらの志向も大切なんだと周りや社会が認めてくれたら、その人は上手くゆらげるんです。ゆらぐ自分を認めてあげられるんです」と教えてくださいました。
 

「ゆらいでいい」、この言葉に救われる方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2021年02月01日

(この内容は寺報昨年末号に掲載したものです)

Q、除夜の鐘はどんな意味があるの?

A、除夜の鐘の数は108回。これは人間の煩悩の数ともいわれておりますが、鐘をつくだけで簡単に消すことのできないのが私達の煩悩でありましょう。

 親鸞聖人は「煩は身をわずらわしむ、悩は心を悩ます」と仰っておられます。身にも心にも色々なことがあった一年を、鐘の音とともに振り返り、来る新たな年を新たな想いで生きてゆくための大切な節目と受けとめたいものです。

大切な人をなくした人のための権利条約

2020年12月11日

 先日、とあるオンライン講演会に参加した際、大変心に残る言葉にであいました。「グリーフケアが当たり前にある社会」の実現を目指す一般社団法人リヴオン代表の尾角光美さんの言葉でした。以下『大切な人をなくした人のための権利条約』です。


第1条 悲しんでもいい 落ち込んでもいい

「がんばらないと」「心配かけてはいけない」と気丈にふるまっているかもしれません。でも時に自分の心の奥にある声に耳を傾けてみてください。悲しみ落ち込むことは自然なことです

第2条 自分を許してもいい

自分を責めるのはその人の存在が大事だった証です

第3条 考えない 思い出さないときもいい

亡くなった人はそんなあなたを責めないでしょうから

第4条 自分を大切に

「みんな大変だから」と我慢することも尊いことです。でも大切なのはあなたがあなたらしく生きてゆけることです

第5条 助けてもらうこと

「お互いさま」です。「助けて」は悪いことではありません

第6条 みんなちがって それぞれにいい

感じ方は人それぞれ。ただあなたが「そう感じている」ということが真実なのです

第7条 自分の人生を歩んでいい

失った相手の存在とともに あなたの人生を歩んでいくことは きっとできます


 この権利条約を自分自身に伝えてあげることはとても大切なことではないでしょうか。

 本年も皆様には大変お世話になりました。寺族一同心より感謝申し上げます。寒さ厳しき折、くれぐれも心身ご自愛くださいませ。来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 合掌
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