法 話

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2015年12月01日

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

Q,お仏壇はどうお掃除したらいいの?

A,お参りをしておりますと 、いつもお仏壇のキレイなお宅、ついホコリをかぶっているお宅、様々です。「お仏壇は心の鏡」と言われます。年の瀬に一年の感謝を込めてキレイにされませんか?
まず新聞などを広げ、仏具をおろします。漆や金箔の部分は決して手で触れず、乾いたやわらかい布で軽く払う程度にしましょう。香炉の灰は平らに整え、多い時は新聞などにこぼし、くるんで捨てていただいて構いません。ロウがこびりついたロウソク立ては熱湯をかけるとすぐとれます(金色や陶器のものにはかけないで下さい)。おろした仏具のホコリをさっと払い、戻します。三本足の仏具は一本足を手前に、これが正面です。わからないことがありましたら、お参りの際に遠慮なくお尋ねください。

寒さが紅葉を美しくするように  悲しみが人生を本物にする

2015年11月01日

「秋の夕日に照る山紅葉・・・」小学生の頃みんなで歌った童謡「紅葉」をふと思い出すような、そんな季節になりましたね。一転して肌寒くなります。体調崩されないようご自愛下さい。

さて、紅葉といいますと、私は学生時代を過ごした京都を思い出します。嵐山、南禅寺、高台寺・・・赤や黄に染まった葉には、どこか観る人を引きつける魅力があるような気がします。
もみじの一年を考えますと春の新芽が「幼少期」、夏の新緑が「青年期」、秋の紅葉が「高年期」・・・といったところでしょうか。決して周りと比べることなく、その時その時の自分の魅力を精一杯出している姿は「移りゆく」からこそ美しいのかもしれません。

私たち「人間」はどうでしょうか。周囲と「わたし」を比べ、加齢をこばみ、口を開けばつい愚痴がこぼれることが多くはありませんか?
 生きてゆくということは、時として厳しく、辛く、悲しいものです。ですが新緑の葉が雨風に打たれていつしか美しく色づいてゆくように、この「わたし」も苦しみ悲しみに出遇った分だけ人生が色づいてゆくのかもしれません。

「寒さが紅葉を美しくするように 悲しみが人生を本物にする」

次回の法要もたくさんのご参詣お待ちしております。はじめての方も増えております。 合掌

暮らしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2015年10月01日

Q,浄土真宗は「病気が治りますように」とか「合格しますように」とお祈りはしないと聞きました。ホントですか?
A,浄土真宗は「拝んで救われる」のではなく「目が覚めて救われる」教えだからです。例えば祈って病気が治るなら、どうして今も多くの人が病に苦しむのでしょうか。   
仏教では、生まれたからには誰も「老」「病」「死」を避けることはできないと説きます。避けられないものを無理に遠ざけようとする為「苦」が生まれてしまう、そこに目が覚めて初めて見えてくるものがあります。
浄土真宗の門徒であれば、仏さまに自分の願いを押しつけるのではなく、「一人じゃないよ」「一緒に乗り越えようね」という仏さまの願いに耳を傾けたいものですね。

お彼岸を前に・・・

2015年09月01日

今年のお盆は例年以上の暑さでしたね。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、今しばらく水分と塩分補給をお忘れなくお過ごし下さい。

さて今月は秋のお彼岸を迎えますが、皆さんは「お彼岸って何?」と聞かれたら答えることができますか? 一言でお伝えしますと「私のいのちどこへ向かうの?」その答えを仏法に尋ねてゆく、それがお彼岸でありましょう。

『仏説阿弥陀経』というお経に「西のはるかかなたに阿弥陀さまのおられる西方浄土がありますよ」と書かれてあります。昔の方々は春秋のお彼岸のお中日(春分・秋分の日)には太陽の沈んでゆく西へ向かって手を合わせ、「私たちもいつかは必ず死んでゆくでしょう。でも私たちは死んでおしまいではないんですね。お浄土に生まれ懐かしい人達に遇えるんですね。仏さまに成らせていただくんですね。その日まで、なんまんだぶつ…なんまんだぶつ…」と過ごされたと聞きます。

お彼岸を通して懐かしい人達とのお浄土での再会を想い、亡き人と私が「なんまんだぶつ」で今つながってゆける喜びを感じてゆきたいものですね。                         合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2015年08月01日

「天国」ではなく「お浄土?」

最近はテレビをつけても「~○○さんは天国へ行きました」「天国から見守って下さい」と当たり前のように使われます。キリスト教の方なら分かりますが、仏式で葬儀をされた方がそれだと、実はとても残念な気持ちになります。
浄土真宗とは、帰るところ(お浄土)のある人生を生きる教えです。そして亡き人は仏となり、残された方を導いて下さいます。「死んだらしまい」でないところが浄土真宗の有り難いところです。
浄土真宗の門徒であれば「天国」ではなく「お浄土へ生まれ仏となる」とあじわっていただければ嬉しく思います。

お盆をまえに。

2015年07月01日

梅雨に入りましたね。お参り中に見かける色鮮やかなあじさいに、ふと足が留まるこの頃です。

少し気が早いようですが、もうすぐお盆を迎えます。毎年家族でお墓や納骨堂参りされる方、今年初盆を迎える方、家族で旅行に出かける方、過ごし方は様々でしょう。ですが、せっかく縁あって浄土真宗の門徒となられた皆さんには、お盆を前にお伝えしておきたいことがあります。

それは「亡き人はお盆になると帰ってくる・・・のではない」ということです。「えっ?」と思われるでしょうか。確かに日本には昔から「お盆には亡き人をお迎えし、お送りする」ことが地域の風習として残ってきました。私もこの風習を子どもの頃から大切にしてきた一人です。
ところが、私がまだ学生の頃、大好きだった祖父が亡くなりました。その時初めて「お盆にしか会えないなんて寂しい」と思ったんです。そのことを父に尋ねました。すると「手を合わしお念仏しなさい。お前のその手を合わさせてくれたのはおじいちゃんだよ。おじいちゃんはもう目には見えないけれど、お前の口から『南無阿弥陀仏(じいちゃんは今日も一緒だよ)』と語りかけてくれているんだよ。手を合わしお念仏しなさい」そう返してくれたように記憶しています。

皆さんには会いたい人がいますか? 声に出してお念仏しましょう。大切な亡き人はお盆だけでなくいつも一緒にいてくれるはずです。        合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2015年06月01日

「浄土真宗では戒名じゃなくて法名(ほうみょう)ってホント?」

皆さんは「法名」ってご存知ですか?「戒名」と「法名」、「宗派によって違うだけでしょ?」実は全く違う名前なのです。
どちらも「仏教を心の寄りどころとする」「お釈迦さまのお弟子となる」ための名前なのですが、本来「戒名」とは、授戒つまり厳しい戒律を守る人の名前です。そのためには普通の日常生活を犠牲にしなければなりません。
一方で浄土真宗の「法名」とは仏教の教えのもとに普通の生活を営む人の名前です。ここに大きな違いがあります。
浄土真宗の門徒であれば「戒名」ではなく「法名」と言っていただければ嬉しく思います。
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