法 話

くらしの中のギモン~聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと~

2016年06月01日

Q.真宗と浄土真宗って違うの?
A.浄土真宗には実は十派あるんです。
浄土真宗本願寺派(京都)
真宗大谷派(京都)
真宗高田派(三重)
真宗佛光寺派(京都)
真宗興正派(京都)
真宗木辺派(滋賀)
真宗出雲路派(福井)
真宗誠照寺派(福井)
真宗三門徒派(福井)
真宗山元派(福井)※( )内は本山所在地
どれも宗旨は浄土真宗ですが、宗派名に浄土真宗が付くものと真宗と付くものがあるだけです。読むお経も同じです。ただ宗派によって節まわしや音は違います。
「あんたのとこは何宗?」と聞かれたら「浄土真宗」
「あんたのとこ宗派は?」と聞かれたら「真宗木辺派」
とお答え下さい。

お寺とのご縁を

2016年05月01日

桜も散り、あっという間に5月を迎えようとしております。ついこの間、年が明けたような気がしますが、月日の流れとは早いものですね。

さて、皆さんは「お坊さん便」というものをご存知ですか?東京の葬儀関連会社「みんれび」が始めた派遣サービスのことで、インターネット通販の大手「アマゾン」が取り扱いを始めたことで今大きな話題となっています。
つまり、「インターネットでお坊さんを注文し、定額で法事等を勤めてもらう」のです。これまでお寺とご縁のなかった方や、お布施の額が不透明と感じていた方からは支持されているようですが、一方で「宗教行為を商品にしている」と抗議しているのは全日本仏教会。

皆さんはいかが思われますか?こういうサービスが出てくるのは時代の流れでしょうし、それがきっかけとなって家族の方が仏法に遇う良き縁となれば否定はできないのかもしれません。ですが、あくまで今までお寺とのご縁がなかった方のお話です。

常照寺は寺報の他に昨年ホームページを作成し、毎月写真やお話を随時更新しております。せっかくご縁をいただいた皆さんに「自分のお寺がどういうお寺なのか」ぜひ知っていただき、ご自分のお寺とのご縁を深めていただくきっかけとなれば、大変嬉しく思います。
合掌

くらしの中のギモン ~聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと~

2016年04月01日

Q.浄土真宗では般若心経はよまないってホントですか?

A.経と名のつくものは全てお釈迦様の説かれたお話です。般若心経もその一つ。尊いものに違いありません。そもそも仏教の最大の目的は成仏、つまり仏さまに成ることです。その手立てに各宗派違いがあるのです。
般若心経は『自らの力を成仏に役立てよう(自力)』という内容のお経なんです。ところが自力で救われる人は相当な鍛練や精神修行のできる人の中でもごくごくわずか。普通の日常生活をおくる人ではまず救われることはないでしょう。
そんな私が救われる道は『自らの力は成仏に何の役にも立たないと気づかされる(他力)』道、つまり「そのままのあなたを必ず救う」という阿弥陀さまにお任せする生き方しか残っていないのです。
浄土真宗の門徒であれば、阿弥陀さまの救いが説かれた『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』や『正信偈』をお勤めしましょう。

ただ仏法は聴聞にきはまることなり

2016年03月01日

まだまだ肌寒い日もありますが、お参り中、あちこちのお宅の庭先に咲く紅白の梅の花に、春の訪れを実感する季節となりました。満開の桜も目を惹きますが、どこかつつましく咲く梅の花はいかにも日本的で私は好きです。

さて3月は春のお彼岸の月です。常照寺では講師の先生をお招きする今年最初の法要が勤まります。それぞれにお忙しい日々を送っておられることと思いますが、ご門徒の皆さまにはどうか今年を一度でもお寺参りする年にしていただければと願います。浄土真宗で一番大切なことは「お聴聞(仏さまのお話を聞くこと)」なんです。

室町時代の浄土真宗の僧侶、蓮如上人は「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、・・・いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、お慈悲にて候うあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなり(御一代記聞書)」と、つまり「一粒の水滴でも同じ所に落ち続ければ石に穴をあけるように、仏法を聞こうともしないこんな私であっても、同じことを繰り返し聞かせていただくとふと阿弥陀さまの御声が聞こえてくださる時がくる。何度も聞く、これが大事」とおっしゃいました。

「お寺さんのお世話になるのはまだ早いかな」「もう少し年とったらね」そうおっしゃってもう何年も過ぎた方もおられるかもしれません。明日も元気でいられる保証はどこにもない私たちです。「お寺でお話を聞く」、お茶飲みに行くような気軽な気持ちでぜひとも足を運んでみて下さいね。

追伸、4月8日は『花まつり』お釈迦様のお誕生日です。今年も若松仏教会30数ヶ寺の僧侶が宗派を超えて高塔山公園の仏舎利塔にてお祝いいたします。ぜひ甘茶をかけにお出かけしてみられませんか?
合掌

くらしの中のギモン ~聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと~

2016年02月01日

Q.「いただきます」「ごちそうさま」は何のため?

A.皆さんは食事の際「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせていますか?テレビを観るとタレントさんが口に運ぶ直前に「いただきます」と言う姿は見ますが、手を合わす姿はほとんどみかけません。また「作ってくれた人」や「お金を払ってくれた人」に言うものだと思っている方もあるようです。

「いただきます」「ごちそうさま」は、食材となった『いのち』に頭を下げることです。他の『いのち』を奪ってしか自分のいのちを繋いでゆくことができない己の姿に気付くこと、そして感謝することを忘れたくないものです。

【食前のことば】
み仏のもと 今さいわいに この浄(きよ)き食にめぐまれました
深くご恩を喜び ありがたくいただきます 南無阿弥陀仏
【食後のことば】
尊いおめぐみにより おいしくいただきました
ごちそうさま 南無阿弥陀仏

~真宗木辺派 食前食後のことば~

元旦の朝日に 手を合わす人は 多いけれども 大晦日の夕日に 手を合わす人は なかなかいない

2015年12月10日

今年も残すところあとわずかとなりました。皆様にとって今年はどんな一年だったでしょうか。喜びの多い年だったでしょうか。時には涙を流してゆかねばならない年だったでしょうか。私にとっては、初めてお会いするご門徒の皆様と一期一会の出会いをたくさんいただき、常照寺と皆様の為にと手探りながら時にはがむしゃらに日々お勤めさせていただいた、そんな一年だった様に思います。温かくお迎え下さいまして、本当に有難うございました。

今年の最後に皆様へご紹介したい言葉があります。

「元旦の朝日に 手を合わす人は 多いけれども
大晦日の夕日に 手を合わす人は なかなかいない」

あるお寺の掲示板に書かれてあった言葉です。

私たちは新年を迎える時、「今年はいい年でありますように」と願います。自然な想いでありましょう。ですが過ぎた日々を振り返ることなく、ただやみくもに毎年お願い事を繰り返すだけでは、何年経とうと生活に変化は生まれないのかもしれません。過去をみつめ、「わたし」という人間をみつめてゆく中に、「おかげさまで」と一日一日新しい朝を迎えさせていただきたいものです。

ご門徒の皆様方には本年も大変お世話になりました。常照寺寺族一同心より御礼申し上げます。来たる年もどうぞ宜しくお願い致します。
釋泰淳 合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2015年12月01日

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

Q,お仏壇はどうお掃除したらいいの?

A,お参りをしておりますと 、いつもお仏壇のキレイなお宅、ついホコリをかぶっているお宅、様々です。「お仏壇は心の鏡」と言われます。年の瀬に一年の感謝を込めてキレイにされませんか?
まず新聞などを広げ、仏具をおろします。漆や金箔の部分は決して手で触れず、乾いたやわらかい布で軽く払う程度にしましょう。香炉の灰は平らに整え、多い時は新聞などにこぼし、くるんで捨てていただいて構いません。ロウがこびりついたロウソク立ては熱湯をかけるとすぐとれます(金色や陶器のものにはかけないで下さい)。おろした仏具のホコリをさっと払い、戻します。三本足の仏具は一本足を手前に、これが正面です。わからないことがありましたら、お参りの際に遠慮なくお尋ねください。

寒さが紅葉を美しくするように  悲しみが人生を本物にする

2015年11月01日

「秋の夕日に照る山紅葉・・・」小学生の頃みんなで歌った童謡「紅葉」をふと思い出すような、そんな季節になりましたね。一転して肌寒くなります。体調崩されないようご自愛下さい。

さて、紅葉といいますと、私は学生時代を過ごした京都を思い出します。嵐山、南禅寺、高台寺・・・赤や黄に染まった葉には、どこか観る人を引きつける魅力があるような気がします。
もみじの一年を考えますと春の新芽が「幼少期」、夏の新緑が「青年期」、秋の紅葉が「高年期」・・・といったところでしょうか。決して周りと比べることなく、その時その時の自分の魅力を精一杯出している姿は「移りゆく」からこそ美しいのかもしれません。

私たち「人間」はどうでしょうか。周囲と「わたし」を比べ、加齢をこばみ、口を開けばつい愚痴がこぼれることが多くはありませんか?
 生きてゆくということは、時として厳しく、辛く、悲しいものです。ですが新緑の葉が雨風に打たれていつしか美しく色づいてゆくように、この「わたし」も苦しみ悲しみに出遇った分だけ人生が色づいてゆくのかもしれません。

「寒さが紅葉を美しくするように 悲しみが人生を本物にする」

次回の法要もたくさんのご参詣お待ちしております。はじめての方も増えております。 合掌

暮らしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2015年10月01日

Q,浄土真宗は「病気が治りますように」とか「合格しますように」とお祈りはしないと聞きました。ホントですか?
A,浄土真宗は「拝んで救われる」のではなく「目が覚めて救われる」教えだからです。例えば祈って病気が治るなら、どうして今も多くの人が病に苦しむのでしょうか。   
仏教では、生まれたからには誰も「老」「病」「死」を避けることはできないと説きます。避けられないものを無理に遠ざけようとする為「苦」が生まれてしまう、そこに目が覚めて初めて見えてくるものがあります。
浄土真宗の門徒であれば、仏さまに自分の願いを押しつけるのではなく、「一人じゃないよ」「一緒に乗り越えようね」という仏さまの願いに耳を傾けたいものですね。

お彼岸を前に・・・

2015年09月01日

今年のお盆は例年以上の暑さでしたね。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、今しばらく水分と塩分補給をお忘れなくお過ごし下さい。

さて今月は秋のお彼岸を迎えますが、皆さんは「お彼岸って何?」と聞かれたら答えることができますか? 一言でお伝えしますと「私のいのちどこへ向かうの?」その答えを仏法に尋ねてゆく、それがお彼岸でありましょう。

『仏説阿弥陀経』というお経に「西のはるかかなたに阿弥陀さまのおられる西方浄土がありますよ」と書かれてあります。昔の方々は春秋のお彼岸のお中日(春分・秋分の日)には太陽の沈んでゆく西へ向かって手を合わせ、「私たちもいつかは必ず死んでゆくでしょう。でも私たちは死んでおしまいではないんですね。お浄土に生まれ懐かしい人達に遇えるんですね。仏さまに成らせていただくんですね。その日まで、なんまんだぶつ…なんまんだぶつ…」と過ごされたと聞きます。

お彼岸を通して懐かしい人達とのお浄土での再会を想い、亡き人と私が「なんまんだぶつ」で今つながってゆける喜びを感じてゆきたいものですね。                         合掌
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