法 話

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年08月01日

Q、常照寺納骨堂へのお参り。お供え物は何でもいいの?

A、亡き人がお好きだった物など、皆さん心の込もった物をお供えしておられます。ところが近年は猛暑の影響もあり、お供えされた果物が数日後には腐っていたり、お団子にカビが生えたり、コバエが飛ぶなどが見受けられます。
 
納骨堂を清潔に保つことができますよう、お供え物は傷みやすいものを極力避けていただきお酒等の飲み物はふたを開けずにお供えしていただければ幸いです。

拝まない者も  おがまれている 拝まないときも  おがまれている (東井義雄)

2020年07月01日

「お盆ってご先祖様が帰ってくるんですよね?」

毎年のお盆参りの際に、ご門徒さんからよく尋ねられる言葉です。私達日本人にとってお盆は、お墓や納骨堂へお参りし、ご先祖様を偲ぶ大切な行事となっています。

 本来「お盆」とは「盂蘭盆(うらぼん)」の略称です。古いインドの言葉「ウランバナ」の音訳で、「逆さ吊り」という意味があります。『盂蘭盆経』というお経には、

  【釈尊十大弟子の一人、神通第一の目連尊者は、亡き母が餓鬼道で苦しむ姿を見てしまう。必死に母を救い出そうとする目連尊者がお釈迦様の教えに出遇って救われてゆく】

という因縁が説かれています。一説にはお盆の由来ともいわれています。

冒頭のご質問に、以前私は
「ご自身はどう思われますか?」とお返しました。すると、
「そうですね・・・帰ってくるというよりも、帰ってきて欲しいなって思います」と話してくださいました。

亡き人が大切な方であればあるほど、「会いたい」「会えなくともそばに感じたい」と思う。お盆というのは亡き人を偲ぶだけでなく、残された方がこれからを生きてゆくための大切なひとときなのだと教えていただいたことでした。

浄土真宗は「大切な亡き方はいつもそばにいてくださる」と受けとめてゆきます。上記の東井先生のお言葉にもありますように、「亡き人におがまれている私」それはつまり「亡き人は仏さまのおはたらきとなって、いつも私のそばにいてくださる」と受けとめることができるのではないでしょうか。

目に見えないつながりを感じ、感謝の想いで手を合わせるお盆にしたいものですね。
合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年06月01日

Q、法事は延期してもいいの?

A、新型コロナウイルスの影響により、ご法事のご心配をなさっている方も少なくありません。常照寺といたしましては「全く問題ありません」とお伝えしております。

 ご法事の最も相応しい日取りは、ご家族の皆様が一番集まりやすい日と考えております。

 このような社会情勢です。ご心配の中、無理にご命日にこだわることなく、皆様が安心して集まれる日取りに再度ご予約なさってください。

(当記事は4月末にご門徒様へお届けした寺報の内容を記載しております)

うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる

2020年05月01日

 今年の一月より少しずつ話題となり始めた新型コロナウイルス、国内外でまさかここまで影響が拡大するとは思わなかったという方も少なくないのではないでしょうか。お彼岸参りの際にお話伺いますと、

 「学校が休校となり、子ども達も退屈でしょうけど親も大変です」
 「楽しみにしてた卒業式や入学式。行きたかったです」
 「(入院・入所している)家族に会うこともできない。寂しい想いをしてるでしょうね」
 「病院に行きたいけど、感染が怖いのでなるだけ行かないようにしてます」

など、皆さんそれぞれに様々な不安やストレスを抱えておられるようでした。

 そんな中上記の言葉を目にしました。相田みつをさんの言葉です。

 うばい合えば足らぬ   わけ合えばあまる
 うばい合えばあらそい  わけ合えばやすらぎ
 うばい合えばにくしみ  わけ合えばよろこび
 うばい合えば不満    わけ合えば感謝
 うばい合えば戦争    わけ合えば平和
 うばい合えば地獄    わけ合えば極楽

 当たり前の日常を当たり前に送ることができないストレスからでしょうか、どこか殺伐とした今の社会、そんな今の私達に大切な言葉の一つではないでしょうか。

 困難な時ほど、分け合うことの大切さを忘れてはいけない。・・そんな私はいつも忘れがちです。

 感染の早期終息と、皆様の心身のご健康を念じ申し上げます。         合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年04月01日

Q、お位牌を整理して過去帳に書き写したいのですが?

A、浄土真宗では基本的には過去帳を用いますが、今お位牌をお使いの方はそのままでも結構です。お仏壇がお位牌でいっぱいになったり、繰り出し位牌の中の木札に亡き人のお名前を書ききれなくなった際は、過去帳への整理を検討されても良いかもしれません。

過去帳は数十名もの故人名を書くことができ、日付入りであれば日めくりで今日がどなたのご命日か一目で分かります。

どこまでさかのぼって故人名をお書きするかはご家族でよくご相談なさってください。書き写しはお寺へご相談ください。

和顔愛語

2020年03月01日

さて、先日あるご門徒さんとのお話です。「野菜や花も話しかけながら育てるとこたえてくれます。畑に向かう時も、道すがら木やお花に話しかけながら歩いております」とのことでした。素晴らしいなぁと思いました。「心にゆとりがないとなかなか出来ないでしょうね」とお返ししますと、「・・・というよりも、話しかけることで心にゆとりが生まれるように思いますね」と教えてくださいました。

なるほどなぁと思いました。私は「優しい言葉」というのは心が安定し、自分に余裕がなければ出てこないものと思い込んでいたのかもしれません。事実、例えば病気になり自分のことで精いっぱいで余裕がない時、例えば腹が立ち心がすさんでいる時、どうも私の口からは優しい言葉や温かい言葉は出てこないようです。つまり「心のゆとり → 優しい言葉」という順序です。しかしこの方が教えてくださったのは「優しい言葉 → 心のゆとり」という順序でした。大変勉強になりました。

同時にある言葉を思い出しました。
「人間は、幸せだから感謝するのではない。
感謝が人を幸せにする」
ある海外僧侶の言葉です。ここに先程の言葉を当てはめるならば、
「人間は、心にゆとりがあるから優しい言葉が出るのではない。
優しい言葉が心にゆとりをもたらす」
となるのでしょう。

 上記の言葉は「和顔愛語(わげんあいご)」と読みます。「和やかな笑顔と優しい言葉で相手に接する」ことです。周りの人を幸せにできる大切な行いです。困難な時こそ和顔愛語でありたいものですね。そうすることで自分の心にもゆとりが生まれるのかもしれません。                                    
合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2020年02月01日

(この内容は寺報昨年末号に掲載したものです)
Q、お仏壇のお正月飾りってどうしたらいいの?
A、 まずお仏壇のお掃除をしましょう。打敷(三角の布)をかけます。お正月や法事など特別な日は五具足(香炉・ロウソク立て一対・花瓶一対)にしましょう。ロウソクはもしお持ちであれば朱をお使いください。
最後に鏡餅をお供えすれば完成です。

 お仏壇のサイズによって臨機応変にお飾りください。

当たり前の ことの中に ただごとではない 幸せがある

2019年12月12日

 改元に沸いた令和元年も間もなく終わり、新たな年を迎えようとしています。皆様にとって今年はどのような一年だったでしょうか?

 喜びの多かった方は「来年も良い年になりますように」と願うでしょう。辛い事、寂しい事の多かった方は「来年は良い年になりますように」と願うでしょう。いずれにしても「良い年」を願うものです。私達は皆それぞれに「幸せ」を願い、「幸せ」を追い求めて生きているのでしょう。

 私達の人生はそうそう思うようにはいかないものです。そして思いもよらない苦難はいつどんな形で訪れるか分からないと最近身にしみて実感しています。だからこそ私達は「こうなりたい」「こうあって欲しい」と願うのでしょう。

 皆さんが望む幸せとは何でしょうか。お正月の神社の絵馬を見ると「家内安全」「恋愛成就」「心願達成」「交通安全」にはじまり実に多種多様なお願い事が書かれています。今の自分が望む切実な願いです。願わくば叶って欲しいものです。

 しかし、もしその願いが叶ったならば私達は真に幸せになれるのでしょうか。今度は別な幸せを追い求めて苦しんだり、願いが叶ったからこそ生まれる新たな悩みに苛まれることもあります。

 上記の言葉は、浄土真宗僧侶でもあり小学校教師として子どもたちの教育に生涯ご尽力なさった東井義雄先生のお言葉です。単に「当たり前のことの中に幸せがある」ではなく、「ただごとではない」を添えておられるところに東井先生の実感のこもった想いが感じられます。

 それぞれに苦難多き人生の中で、「こうなりたい」と願う前に、身近な「当たり前」に目を向け「ただごとではなかった」「有難いことだったのですね」とまず感謝することが、幸せを実感できる一番の近道なのかもしれませんね。

 ご門徒の皆様には今年も大変お世話になりました。寺族一同心より感謝申し上げます。来年も宜しくお願い申し上げます。   合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年12月01日

Q、お斎(おとき)ってなに?

A、 本来は寺院で生活する僧侶の食事のことを斎(とき)とよんでいました。基本的には精進料理です。“斎”という言葉には「正しい」「慎み」という意味があります。正しく慎み深い僧侶の食事=精進料理、とされてきたのでしょう。

 常照寺では年に一度工夫を凝らした精進料理をお出ししております。それが報恩講です。お寺で精進料理。ぜひお参りいただき、ご予約のうえ精進料理を召し上がってみませんか?

老は他人事という 若さのおごり 病気は他人事という 健康のおごり 死は他人事という いのちのおごり

2019年11月01日

 朝晩が次第に肌寒くなってまいりました。過ごしやすい季節は年々短くなってきているような気がしますが、それぞれの季節を楽しみながら過ごせたら良いですね。皆様もお身体ご自愛ください。

 上記の言葉はあるお寺の掲示板に書かれていた言葉です。頭で理解することと、この身で実感することとでは大きな違いがあります。

ある方はおっしゃいます。
「若い頃、『あんたも年取ればわかる』と言われたことが、自分が年を取ってようやくその意味がわかり、身につまされました」

ある方はおっしゃいます。
「病気になって初めて健康の有難みが身にしみました」

ある方はおっしゃいます。
「人生百年時代。自分のいのちはまだまだ先があると思っていたけれど、大切な人を突然亡くし、初めていつどうなるか分からない私のいのちだったんだと、身にこたえました」


 誰も避けることのできない老病死、にも関わらず私達はどこか他人事と日暮らししてはいないでしょうか。しかし、老病死が我が身にふりかかった時「今まで他人事だったことが、他でもない私の問題だったんだ」と気付かされます。

 あるお寺の先生は『物は心でいただき、仏法は身でいただけ』とお示しくださいました。お寺でご法話を聞いた時、ひと昔前の方々は「あぁ、今日のお話は身にしみました」「身にこたえました」「身につまされました」と我が身のうえに受けとめてゆかれたそうです。

 
 皆さんは仏さまのお話をどのように聞いておられますか?           合掌
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