法 話

悲しみは 悲しみを知る悲しみに救われ、 涙は 涙にそそがれる涙にたすけらる(金子大栄)

2024年09月01日

 記録的な猛暑。本当に暑い夏でした。まだまだ残暑厳しき季節が続きます。自覚がなくても身体に疲れがたまっていたりするものです。皆様引き続きご自愛ください。

 さて、この夏のお盆参りで、多くのご家庭で話題にあがったのがパリオリンピックでした。8月末からはパラリンピックも始まりますが、皆さんは、どの競技のどんなシーンが心に残っておられますでしょうか。

 体操日本男子逆転の金メダル、北九州出身の早田ひな選手率いる卓球女子団体の銀メダル、平均年齢四十歳超え「初老ジャパン」の愛称が記憶に新しい馬術団体の九十二年ぶりの銅メダルなど、多くの競技やシーンが思い起こされます。

 その中で私の心の中にとても印象深く残っているのが、柔道女子の阿部詩(うた)選手のあの大号泣でした。東京五輪に続き、兄妹同日金メダルを目指すも二回戦で一本負け。本当にこの日金メダルを取るためだけにこの数年間を過ごしてきたのでしょう、試合後は会場に響き渡るほどの号泣、歩くこともできないほどでした。この姿に一部では「みっともない」「武闘家としての態度ではない」「相手選手への配慮に欠ける」などの意見もあがったようですが、それほどの想いで人生をかけて臨んでいたのでしょう。観ていて胸が苦しくなりました。

 その後、金メダルを獲得した兄の阿部一二三(ひふみ)選手は、試合後のインタビューで少し涙ぐみながら
「妹が負けてしまって、僕自身もすごい苦しい一日だった。妹の分まで兄が頑張らないと、と思っていた」と話しました。妹のくやしさ、悲しみを誰より分かるからこそ、込み上げるものがあったのでしょう。

 上記の言葉は、真宗大谷派の金子大栄先生の言葉です。金子先生は著書『歎異抄領解』にて、「すべてのものを平等に救い取りたいという阿弥陀の願い」を、「悲しみを知る悲しみ」「涙にそそがれる涙」と表現されました。

 私の悲しみを、自分の悲しみとしてともに悲しんでくださる方がいた時、一緒に泣いて下さる方がいた時、私たちは救われたすけられてゆくのでしょう。そのお方こそ阿弥陀如来という仏さまであります。                                   合掌

変わらない良さ   変わってゆく良さ

2024年07月01日

 七月三日より、新紙幣が発行されます。二十年ぶりに発行される新紙幣。偽造防止などの観点から、その時々の最新技術を用いて約二十年ごとに刷新されてきました。今回は、立体的な肖像が左右に回転するデザインの「3D(スリーディー)ホログラム」が採用され、お札を傾けると肖像が左右に回転するのだとか。

 ちなみに今回の一万円札は、「近代日本経済の父」と呼ばれ、生涯に五百もの企業の設立に関与したといわれる実業家、「渋沢栄一」。 五千円札は、日本で最初の女子留学生としてアメリカで学び、女子英学塾、現在の津田塾大学を創立した教育家、「津田梅子」。千円札は、世界で初めて破傷風の治療法を開発した細菌学者、「北里柴三郎」へとそれぞれ刷新されるようですね。

 変わらないからこそ素晴らしいものもあれば、時代やニーズに応じて変化していくこともまた大切な気がします。

 余談ですが、これまでの紙幣も引き続き使えますので、「新紙幣の発行により旧紙幣が使えなくなる」「旧紙幣が使えなくなるので回収する」などの詐欺にはくれぐれもご注意なさってください。

 さて、例年より遅い梅雨入りとなりましたが、日中の気温が三十度を超える日も増え、猛暑、酷暑の季節が近づいてきました。私たち僧侶にとって一年で最も忙しく過酷な季節が8月、お盆参りの時期です。今年も一件一件丁寧にお参りさせていただきたいと思っておりますが、夏用の衣は見た目の生地が薄くなるため、時折「涼しげで良いですね」と言われることもあります。ただ問題はその枚数です。どんなに暑くとも4枚以上着なければなりません。夏場に4枚はとても過酷なものです。

 変わらない良さもあるとは思いますが、昔と今とでは暑さが違います。時代やニーズに合った涼しい衣をどなたか開発してくださらないかと密かに願っている今日この頃です笑。

 今年は昨年以上に厳しい暑さとなるようです。ご門徒の皆様もクーラーを入れたりご自宅の中であってもこまめに水分補給するなど、くれぐれもご自愛なさってください。          合掌

「きょういく  きょうよう  ちょきん」が大事

2024年05月01日

 四月に入り、最高気温が二十五度を超える「夏日」も出てきました。四月でこの気温ならば夏はどうなってしまうのだろうと思ってしまいますが、まだまだ肌寒い日もございます。寒暖差大きい時節、皆様どうぞご自愛なさってください。

 さて、以前とあるご門徒さんより、大変興味深い言葉を教えていただきました。

「年をとったら、『きょういく』と『きょうよう』が大事」

という言葉でした。教育と教養、何歳になっても学びが大切ということなのだろうと私は推測したのですが、そうではありませんでした。「きょういく」とは「今日行く」、つまり「今日行くところがある」ということ。「きょうよう」とは「今日用」、つまり「今日用事がある」ということでした。うまい言葉を考える人もいるものだなぁと笑ったものです。

 さらに、この言葉をネットで検索しますと、

「健康的に生きるために意識したいのが『きょういく』・『きょうよう』・『ちょきん』なのです」

という言葉を見つけました。「ちょきん」とは貯金ではなく「貯筋」、つまり運動して「筋力を貯めること」なのだとか。ご門徒さんの中には、健康のために毎日歩いておられるお方もたくさんおられます。すでに「ちょきん」されておられたのですね。

 常照寺では五月に「宗祖親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)法要」、六月には「真宗入門講座」を予定しております。降誕会法要では、この数年コロナ禍のため中止を余儀なくされていた祝賀会を再開いたします。本堂でご一緒にお食事しながら、ご門徒さんによるスコップ三味線・オカリナ演奏・社交ダンス・手話ソング・ライアー演奏をお楽しみください。また法要や講座には参詣者の皆様へ参拝記念品をご用意してお待ちしております。

 皆様の「きょういく」と「きょうよう」の行き先の一つに、ぜひお寺を加えていただければ大変嬉しく思います。                                                 合掌

目の前の 自分にできることを 精一杯

2024年03月01日

 年明けから、地震、津波、航空機事故と、こんなお正月があるのだろうかと、きっと多くの方が心を痛め、テレビの前から離れることができなかったのではないでしょうか。諸行無常、明日どうなるか分からない私たちお互いの人生なのでしょうけれど、だからこそ目の前の自分にできることを精一杯、身近な当たり前に感謝しながら日々を過ごしていきたいと思うことです。

 先日、北九州手話の会若松支部のお仲間より情報提供していただき「テレメンタリー2024~世界一きれいな言葉~」というテレビ番組を観ておりました。聴覚障がい者(ろう者)の両親と、聞こえる(聴者)子ども達という四人家族のドキュメンタリーでした。父親のAさんは生まれてから四十一年間、音のない世界を生きてこられた方でした。

 皆さんは「音のない世界」を想像できるでしょうか?私は試しに音を消して字幕のないドラマを観てみました。何を話しているのか、口の動きを見ても全くわかりません。ただ、「目は口程に物を言う」とはよくいったもので、いつの間にか役者の目や表情に注目している自分に気付きました。言葉は読み取れないけれど、目や表情、身体の動きから「きっとこの人はあんなことを言っているんだろうな」と想像するしかなかったのです。そして相手の言葉を想像することは、目も心もとても疲れる作業だと気付かされました。だからこそ手話が必要なのだと感じました。

 私たち聴者にとって言葉=日本語であるのと同じように、ろう者にとって言葉=手話です。手話が使えればろう者の想いも理解でき、自分の想いもスムーズに伝えることができるのでしょう。私も相手の「言葉」を大切にできるよう、細く長く手話の学びを続けていきたいと思います。

 番組の最後、Aさんの言葉に胸を打たれました。
「もし生まれ変わるとしても、また聞こえない私という人間に生まれたい。聞こえなくてもたくさんのことに挑戦できたから」

 こんな言葉を言えるでしょうか。涙がこぼれそうでした。自分のおかれた境遇に愚痴をこぼすのではなく、目の前の自分にできることを精一杯。

 Aさんの言葉や生き方から教えられることがたくさんありました。              合掌

吾れ 尚 仕合わせなりき

2023年12月20日

 昨年の発症、再発から一年数か月、少し落ち着いていたかのように思えた若坊守の症状。「このまま順調に薬が減っていくといいね」と話していた矢先、先日の報恩講法要の初日を迎えた朝、思いがけない再発、すぐに入院を余儀なくされました。幸い病院の迅速な対応と治療のおかげもあり、五日で退院することができましたが、思う通りにはなってはくれない人生の厳しさを知らされた想いでした。同時に、その後の生き方に関わるような病気を患った時、それをどう受け止めれば良いのか、自分の中でどう折り合いをつけてゆけば良いのか、改めて夫婦で考えさせられたご縁でした。

 今回の報恩講の講師の赤井先生が、ある方の言葉を紹介してくださいました。最期は脳腫瘍という重たい病気を患って亡くなっていかれた、武内キヌエさんという方が残された言葉です。

「人の世は、上見れば上で 下みれば下で 限りなし
吾(わ)れ 半身不随なれど いまだ右手あり、耳あり、右足あり
吾(わ)れ 脳腫瘍なれど いまだ味あり 色彩あり 音あり 声あり 言葉あり 匂いあり
それもやがて消えゆく身なれど 尚(なお)念仏あり み仏あり 大悲あり 浄土あり
吾(わ)れ 尚(なお) 仕合(しあ)わせなりき」

 失ったものに目を向けるのではなく、今ある大切なものに目を向けていかれた武内さん、なかなか言える言葉ではありません。そして注目すべきは「幸せ」ではなく「仕合わせ」と綴っておられる点です。「仕合わせ」とは「出遇い」。今ある大切なものもやがて失ってゆくけれど、そんな私をまるごと包み込んで下さる仏さまとの出遇いがあった、と手を合わせていかれたのでしょう。

 様々なお宅でお話を伺っておりますと、ご門徒の皆様の中にもご病気や悩みを抱えておられる方がたくさんおられることに気付かされます。どうぞ、来年はお寺の法要へお参りし、仏さまのお話を聞いてみられませんか? 病気や悩みの受け止め方が変わっていく出遇いがきっとあると思います。

 ご門徒皆様には本年も大変お世話になりました。寺族一同心より感謝申し上げます。  合掌

「鼻が下に向いとるで  有難いぞなぁ」

2023年11月01日

とあるきっかけから、子ども達が剣道を始めてくれました。私自身学生時代に十二年剣道をやっておりましたので、「精神的に強くなって欲しい」「礼儀を身につけて欲しい」という理由から、もし興味を持ってくれたらと以前より願っておりました。いつまで続けてくれるかは分かりませんが、本人達から「やってみたい」という言葉が出たことは親としてとても嬉しいものでした。

 気が付けば私も子どもと一緒に防具を購入する始末(笑)。九月後半、二十三年ぶりに大人の先生方の稽古に参加しました。とてもきつかったですが楽しかったです。その晩、右足裏が青紫色に。翌日病院へ行くと靭帯を痛めたのだろうとの診断。気持ちは当時のままでしたが、使っていない体がついてこなかったようです。しばらくかかとをつけて歩くこともできませんでしたが、以来、サポーターを着用し、無理しすぎないよう気をつけながら、親子で稽古に通っています。どこか一カ所痛めただけでも「今まで通り」「あたりまえ」がいかに有難いことだったか、改めて知らされた想いでした。
 
 有名な妙好人(みょうこうにん)、因幡(鳥取県)の源左(げんざ)さんのお話をご紹介します。ある日夕立にあい、びしょぬれになって帰ってきた源左さん。それを見た菩提寺の住職さんが「じいさん、ようぬれたのう」と言うと、「ありがとう御座んす。御院家(ごいんげ)さん、鼻が下に向いとるで有難いぞなぁ」「この鼻が上向きについていれば、雨はみな鼻の穴に入ってしまう。しかし下向きについてくださるとはなんと有難いことだろうか」と返したそうです。

 私達は何かを失って初めて、その大切さに気づかされるものです。しかし、できることならば、失う前にその大切さ有難さに気づいておきたいものです。仏法に出遇う、仏法を聞くとは、「今まで通り」「あたりまえ」がいかに有難いことだったかを知らされることなのかもしれませんね。                                       合掌

ご門徒さんから教えられて

2023年09月01日

 私達僧侶にとって、一年で一番忙しいといっても過言ではないお盆。今年もなんとか無事に終えることができました。様々にご協力いただきましたご門徒の皆様へ、心より御礼申し上げます。まだまだ残暑厳しき折、くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

 先日とあるご門徒さん宅へお参りに伺った時のお話です。次のようなご質問をいただきました。
「香炉の灰っていうのは、いっぱいになってきたら、かさを減らしてもいいんですか?」

 今までこのようなご質問は何度もいただいてきました。そしてその度にいつも同じ答えをお伝えしてきました。それは、
「危ないので、むしろどんどんかさを減らしてください」
というものでした。山盛りになった香炉の灰の上にお線香をお供えし、もしお線香が転がって火事にでもなってしまうと大変だからです。続けて、
「中には香炉の灰を山盛りに溜めるのを楽しみにしておられる方もおられますけどね(笑)」
とお伝えすると、そのご門徒さんは
「あ、私も同じかもしれません」
と仰いました。そして、
「今この家には私しかいません。だからお参りするのは私だけで。だんだん溜まっていく灰を見ると、なんだか感慨深いんです」
その言葉を聞いてハッとしました。この方にとって灰というのは、大切な亡き人を想いながら毎日手を合わせてこられた証拠だったんだと気付かされました。

 「灰ひとつにも相手の想いが込められている」「灰ひとつから相手の想いを感じることができる」と
いう大切なことを教えていただきました。

 「私」にとっては何気ないものであっても、「相手」にとってはとても大切なものだったりします。相手の方が大切にするものを一緒に大切にできるような、私でありたいと思わされました。  合掌

散り際以上に 大切なもの

2023年07月01日

 皆さんは「夏」といえば何を思い浮かべられますか?海、キャンプ、うちわ、風鈴、スイカ割り・・・
パッと頭に浮かんでくるものは自身の経験や体験に左右されるのかもしれませんね。

 私は線香花火を思い浮かべます。特に夏の終わりの線香花火はどこか「終わってしまう」物悲しさを感じますが、日本的な風情を感じられるところがとても好きです。

 皆さんは「線香花火の燃え方に段階と名前がある」「線香花火は人生にたとえられる」というお話を聞いたことはありますでしょうか?

牡丹 ・・・火球ができる蕾の状態から、徐々にパチパチと燃えていきます。
松葉 ・・・松の葉を連想させるように、火花が激しく散ります。
柳   ・・・徐々に火花の勢いが衰え、垂れ下がるような線を描きます。
散り菊・・・消える直前。火花が、一本また一本と落ちていく様は、菊の花の散り際のよう。

 解釈には諸説あるようですが、段階に名前がつけられているとは知りませんでした。

 確かに、生まれてから命終えてゆくまでの人生をあらわしているような印象を受けますね。だからこそ私は物悲しさを感じていたのかもしれません。それはつまり「命終わってゆくことは悲しく寂しいこと」という意識が根底にあったからなのかもしれません。

 しかし、仏さまの教えに出遇った時、「散り際の姿以上に大切なものがある」ことを知らされます。
「蕾の時も、牡丹の時も、松葉の時も、柳の時も、散り菊の時も、あなたの命はいつも美しく輝いているのですよ」と見てくださっているのが仏さまでした。

 これから線香花火をする時に、移り変わる一つ一つの姿の中に、美しさを感じてゆけるような目と心を持てる自分でありたいと思うことです。

 暑さ厳しくなる季節、皆様くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。             合掌

内は愚にして  他は賢なり

2023年05月01日

 去る三月、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が日本中を大いに沸かせてくれました。殺伐としたニュースが多い中、日本の世界一奪還のニュースは久しぶりに明るい話題となり、元気や勇気をもらったと感じた方も多かったのではないでしょうか。

 感情むき出しでチームを鼓舞し続けた大谷選手、不振が続き苦しい想いを抱えながらも最後に結果を出してくれた村上選手など、心に残るシーンを挙げればきりがありませんが、最後まで選手を信じ続けた栗山監督の存在と采配は、今回の優勝の大きな一因となったのではないでしょうか。

 今、栗山監督の言葉や考え方が注目されています。栗山監督は著書『未徹在(みてつざい)』の中で
「己の未熟さに気付くからこそ、助力を得て人生を深めることができる」
と書いておられます。未徹在とは仏教の言葉で、「未だ徹せず、未だに到達できない、まだまだ不十分」という意味です。自分は「未徹在」であるという自覚を持っておられるのでしょう。謙虚な姿勢と感謝の心を忘れない、栗山監督の人柄や人生観がうかがえます。

 私はどうだろうかと考えてみます。私達は己の未熟さに自分で気付くことはなかなかできません。むしろ己の未熟さにあえて目を向けないようにすることで自分を保ったり、その未熟さを周囲に悟られまいと時に虚勢を張って生きていることも少なくないかもしれません。

 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は『愚禿鈔(ぐとくしょう)』という書物に
「愚禿(ぐとく)が心(しん)は、内(うち)は愚(ぐ)にして外(ほか)は賢(けん)なり」
と言葉を残しておられます。「愚禿と名のる私の心は、その内側には愚かさを持ちながら、外見には賢く振る舞って生きていこうとしている」とご自身をみつめておられるのです。

 栗山監督と親鸞聖人の言葉から、自分を偽らない生き方の大切さを教えられるような気がいたします。                                                      合掌

お経にはなにがかいてあるの?

2023年03月01日

 上記の言葉は、以前とあるご門徒さん宅へお参りに伺った際に、幼稚園に通うお孫さんから尋ねられた問いでした。私も我が子から思いもよらない問いを投げかけられ、一瞬「おっと、どう伝えたらいいのだろう」と言葉に詰まることがありますが、子どもの問いというのは時にドキッとさせられるものですね。

 しかし子どもの問いには、真剣に、かつ分かりやすく答えてあげなければと思っています。

 私は
「おー、すごいね。お経には何が書かれているんだろうって、気になったんだね。どう伝えたらいいのかな・・・。うん、このお仏壇の真ん中に仏さま(阿弥陀如来)がいるよね。この仏さまは〇〇くんのことをとっても大切に想ってくれているんだよ。お経には『私は〇〇くんのことが一番大切なんだ』っていう仏さまの気持ちが書かれているんだよ」
と伝えました。

 そう答えたのには理由がありました。昔、讃岐(現在の香川県)に庄松(しょうま)さんという妙好人(みょうこうにん)(仏法を大変よろこばれ、念仏者として生きた方)がおられました。庄松さんは文字が読めませんでした。
 ある時、庄松さんのことを良く思わない者が
「おい、あんたは有難い人と聞いているが、このお経は何て書いてあるのか、読んでもらえないか?」
と言いました。すると庄松さんは、
「ああ、ありがたいありがたい。『庄松を助けるぞよ。庄松を助けるぞよ』」
と読み上げたのです。この時、お経の本は逆さまだったそうです。たとえ文字が読めなくとも、お経の本が逆さまでも、お経というのはどこを読んでも仏さまの救いが説かれていることを庄松さんはわかっておられたのです。

 私の拙い返しに、お孫さんは「ふーん」と腑に落ちたような落ちていないような表情ではありましたが、何か少しでも伝わるものがあったならば嬉しく思います。

 私もまたお孫さんの問いのおかげで大事なことを思い出すことができました。                              合掌
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